こころの電話

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6月16日~いのちの上に成り立ついのち

 本格的な梅雨の季節です。

 さて、四月に宮崎県で発生した家畜伝染病口蹄疫は、隣接する都城市まで広がり、鹿児島県では準非常事態が宣言されました。畜産農家の方々の苦悩ははかりしれません。

 発生以来、テレビでは口蹄疫の被害の状況を毎日のように伝えていますが、テレビに出てくる論者で、その対策を語る人は多くいても、次々に殺されていく牛や豚のいのちについて語る人はあまりいないようです。

 現在でも数万頭の家畜が殺処分を待っているといわれますが、その中には感染していない家畜も多くいますし、子どもの牛や豚もいます。すべてを処分するのは、人間が食べる良質のブランド牛を守るためです。

 また対応が急がれるのは、畜産農家のみならず、飲食業や小売業、観光や運送等をはじめ、多くの市場経済に悪影響を及ぼす風評被害があるためです。

 つまり、多くの牛や豚たちは、私たち人間の食や生活を守るために殺されているということも、一方では忘れてはなりません。そして、私たちの毎日は、それらの多くのいのちを頂きながら生かされている、私のいのちは多くのいのちの上に成り立っているということを、一人ひとり省みることが、今、私たちに求められているのではないでしょうか。

 多くのいのちとみなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。深くご恩を喜びありがたくいただきます。

 尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。おかげでごちそうさまでした。

 西本願寺の食事の言葉です。

 一人ひとりが一刻も早い終息を願い、力を合わせてウイルス侵入防止につとめたいと思います。と同時に、処分されゆく多くのいのちを思い、家族や地域でいのちについて語り合うことも大切なことと思います。

6月16日~いのちの上に成り立ついのち2010年06月16日【122】

6月1日~ありのまま見るということ。

 本格的な雨の季節、あじさいの花が鮮やかな色を放っています。

 さて、先月、本願寺鹿児島別院で、幼稚園・保育園の新任職員の研修会があり、スタッフとして参加しました。今年先生になった初々しい方々ばかり、仏さまの教えや幼児教育について、皆真剣に学ばれました。

 研修会終了後、参加者のアンケートを拝見すると、「子どもをありのままに見る、子どもを明らかに見ることの大切さを学んだ」という感想が一番多く、幼児教育の現場にいると、そのことがいかに難しいかが伺えます。

 このような話があります。

 むかし、ある村に一本の曲がりくねった松の木がありました。ある日、そこにひとりのお坊さんがやってきて、その木をじっと見つめていましたが、近くを通りかかった村人が、その人があの有名な一休さんだということに気づき、驚いて村中にそのことを知らせました。

 それを聞いた村人たちは、一休さんに一目会いたいと、その松の木の所へ集まったそうです。そして一休さんは、村人たちに言いました。

 「みなさん、この曲がりくねった松をまっすぐに見る方法はないでしょうか」

 普段見慣れた曲がりくねった松の木ですが、高名な一休さんの言われることです。村人たちは、どこから見ればその松の木がまっすぐに見えるか、いろいろと移動しながら見ましたが、どこから見てもまっすぐには見えません。

 しばらくして、たまりかねたひとりの村人が言いました。

 「どう見ても、どこから見ても、この松はまっすぐなんかしてねぇ」

 その言葉を聞いた一休さんが、「その通りじゃ、そなたこそが、この松をまっすぐに見た」と、その村人をほめました。

 曲がったものは曲がったまま、そのまんまでで「まっすぐ」なのです。木も人間も同じです。一休さんは、村人たちにそのことを伝えたかったのです。子どもたち一人ひとりもそのまんまが尊いのです。

6月1日~ありのまま見るということ。2010年06月01日【121】

5月15日~私の嫌いな人と再び…。

 今年の春は少し変で、未だに朝夕肌寒い日があります。

 さて、お寺では、毎月第二土曜日に、子どもたちが集まって土曜学校が行われていますが、先般その場で阿弥陀如来のお浄土の世界について、お話をしました。

 私は、お浄土の世界をいろいろと説明する中で、「私たち人間のいのちには限りがあって、たとえ大好きな人とこの世で別れることがあっても、必ず再び会わせていただくことが出来るのが、お浄土という世界です」と、阿弥陀経に説かれる教えを話しました。

 すると、子どもの一人が言いました。「それじゃ、嫌いな人とはどうなるの、また会うことはないの」。

 鋭い質問です。私は困りました。なぜならば、お浄土の世界は、自分の好きな人、嫌いな人、あらゆる人にわけへだてなく会う世界だからです。必ず顔を会わせなければなりません。

 では、どうしたらいいのでしょうか。おおよそ嫌いな人がいない人などいませんし、長い人生では自分の意に沿わない人はたくさん出てきます。

 私は、その子どもに、「そのために仏さまの教えはあるし、教えを聞くことが大切なのだよ」と、答えました。そして「お寺で仏さまの教えを何回も何回も聞いていくと、なぜ、自分に好きな人や嫌いな人ができてくるか、その原因が分かってくる」、そして、さらにたくさん教えを聞いていけば、嫌いな心や、会いたくないという心が、やがて少しずつ小さくなってくるのだと思うよ」と話しました。

 私の拙い説明を、子どもたちはよく理解できなかったかもしれません。しかし、聴聞を重ねて、やがてお浄土に往生するということはそういうことかもしれません。

 この世では憎み合うこともある人間ですが、やがてお浄土ではきっと手を取り合える仲間となるのだと、仏さまの教えを聞いて気づかされたとき、私たちはお浄土に間違いなく参れる身とさせていただくのです。

5月15日~私の嫌いな人と再び…。2010年05月15日【120】

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