こころの電話

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3月1日~手伝ってやろうか。

 今年もお寺の中庭になる岩ツツジが、鮮やかな紫の花を咲かそうと、たくさんのつぼみを抱えています。

 さて、ある中小企業の社長さんが、懇話会の席で話された「幼い頃の思い出」を紹介します。

 私が小学生の頃、夏休みの宿題をしているときです。母は、風呂の水くみをしていました。当時の風呂は五右衛門風呂で、水道がない時代ですから、井戸から何回も水を汲んで風呂まで運ばなければなりません。女性にとっては大変重労働です。

 そこで私は、母に「母さん、手伝ってやろうか」と言いました。

 すると、私の母は「いらん」と一言、そっけない返事でした。

 その後、風呂の水くみを終えた母は、私に言いました。

 「おまえはさっき母さんに、『母さん、手伝ってやろうか』と言ったね。母さんはおまえが、『母さん、手伝わせて下さい』と言ってくれたらどれほどうれしかったか。『手伝ってやろうか』というような気持ちで母さんは手伝ってほしくなどなかったから、母さんは『いらん』と言ったんだよ」

 あの時、私の母は、私に大事なことを教えてくれました。あの時母が教えてくれたのが、仏教の布施の心だったのですね。還暦を過ぎた今になって、ようやく母が教えてくれたことがしみじみと有り難く感じます。

 小学校しか出ていない母でしたが、昔の日本人は、人生で大切なことをたくさん知っていました。偉かったですね。

 このお母さんが教えられたとおり、仏教の布施の心とは、相手がかわいそうだから、困っているから、大変だから、助けてやる、してやる…というものではありません。

 「してやった」、「助けてやった」という心には、必ず「いいことをした」、「感謝してほしい」「お礼を言ってほしい」という心がわいてきます。それでは、布施にはなりません。

 「手伝わせて下さい」。我がはからいの心を捨てて自ら進んでさせていただく。これが本当の布施の心です。
(参考・仏教法話大辞典)

3月1日~手伝ってやろうか。2010年02月28日【115】

2月15日~あまりにも夢中になって…

 二月もはや半ば、逃げるように毎日が過ぎていきます。

 さて、バンクーバー冬季オリンピックが華やかにスタートしました。史上最多の八十二カ国、約二,六〇〇人の選手が集まり、十七日間にわたって競技を繰り広げます。

 さっそく二日目に、フリースタイルスキー女子モーグルで、期待の上村愛子選手が、四度目の五輪に臨みました。

 上村選手は期待通りのすばらしい滑りを見せてくれましたが、結果、四位に終わり、残念ながら、またしても悲願のメダルには手が届きませんでした。

 私も家族と共にテレビで応援し、健闘をたたえましたが、テレビが終わった後に坊守が、「恥ずかしいことですね」と私に言いました。

 その言葉のわけを坊守に聞くと、当初、上村選手は決勝で二位に食い込み、その後、予選上位四名の競技の結果を待つことになりました。次の選手はあまりにもスピードが出すぎて転倒してしまいました。その時、坊守の心の中に、「やった、上村選手がメダルに一歩近づいた。よかった」という心がわいたと言います。

 次の選手も、最後のジャンプの着地がうまくいかずに転倒してしまいました。その時、坊守の心の中に、「やった、よかった。もう一人で上村選手にメダルが届く」という心がわいたと言います。

 考えると、失敗をした他国の選手も上村選手と同様、この数年間過酷な練習に耐え、それを見守り応援する家族、友人、たくさんの方々がいます。

 しかし、日本の上村選手を応援するがあまりに、他国の選手のその苦労や応援する周囲の方々の姿が見えなくなり、あろうことか失敗を喜ぶ心がわいた。その自らの心を、坊守は恥ずかしいと言ったのです。

 坊守だけではありません。私の心の中も同様でありました。

 我が国の選手を応援することは大切なことですが、あまりにも夢中になって、他国の選手の失敗を期待したり喜ぶことは誠に浅ましいことです。日本の選手同様に、他国の選手の健闘もたたえる心の広さを持ちたいと思うことです。

2月15日~あまりにも夢中になって…2010年02月14日【114】

2月1日~水が無くなって初めて…。

 一月が一気に過ぎていきました。

 さて、日本時間で今月十三日の朝、カリブ海のハイチでマグニチュード七,〇の大地震が発生しました。

 首都ポルトープランスは壊滅的な打撃を受け、この地震による死者は十七万人以上、被災者は総人口の三分の一に相当する約三百万人といわれ、さらに広がる様相を見せています。

 地震から一週間たって、ようやく食糧や医療品などの救援物資が被災者の手元に届き始めたばかりですが、食料品の略奪や治安の悪化、被災で両親らを亡くした孤児の人身売買や臓器売買の横行なども報道され、誠に胸が締め付けられるような思いがします。

 このような状況にあって、遠くに住む私たちにはささやかな募金活動しかできませんが、と同時に、私は十五年前の一月十七日に発生した阪神淡路大震災を思い起こさずにはおれません。

 当時、鹿児島別院の職員だった私は、被災者のお手伝いにと、他の職員と一緒に神戸に向かって出発し、たどり着いたのは十九日の夜のことでした。

 神戸別院の仮本堂には、たくさんの棺が並び、そのような中で鹿児島から運んだ水や毛布や食料をおわけしましたが、その時耳にした、被災されたご老人のお言葉が今でも心に残っています。

 「地面が揺れて、初めて地面が揺れんことの有り難さがわかった。水が無くなって、初めて水があることの有り難さがわかった。私は本当の有り難さが今までわかっていなかった」

私たちは、常日ごろからものの有り難さを口にはしますが、本当はわかっていないのかもしれません。目の前から本当に無くなるという状況に出会わないと、本当の有り難さがわからないのかもしれません。

 ハイチの被災地にはできるだけの支援を心がけると共に、自らの日暮らしの有り様を、今一度省みたいと思います。

2月1日~水が無くなって初めて…。2010年01月31日【113】

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