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8月1日~失われゆく母の徳と姿

 炎天下、スイカがおいしい季節です。

 さて、先日、大阪市のマンションで三歳の女の子と一歳の男の子、二人の遺体が見つかるという誠に痛ましい事件がありました。逮捕されたのは、二十三歳になるその子らの母親でした。

 母親は警察の取り調べで、四年前に離婚をし、今年一月から大阪の風俗店で働くようになり、「そのころから、ごはんをあげたり、お風呂に入れるのが嫌になった」と心境の変化を話し、自分の時間が欲しいと、子どもを残し部屋を出たのは六月下旬、「家を出て一週間ぐらいしてからは死んでるかもしれないと思っていた」と供述しているそうです。

 二人の幼児は、ゴミが散乱する部屋で、裸のまま寄り添うように亡くなっていました。食べ物も与えられず、お風呂にも入れず、着替えもない。幼い子どもが飢えと渇きの中で苦しみ息絶えていく姿を思うとき、誠に胸がしめつけられる思いです。

 きっと子どもたちは、計り知れない苦しみの中にあっても、お母さんを捜したはずです。お母さんを呼び続けたはずです。

 警察では、離婚などで生活状況が一変する中、孤立感や子育てのストレスを深めたことや、近くにその若い母子を支える人がいなかったことなど、事件の背景を調査中ですが、いずれにせよ、実の母親が二人の幼い子どもを置き去りにした事実に、言葉には表せないむなしさを感じます。

 仏教で仏さまのお徳をお伝えするのに、昔から「親さま」とか、「み親のように」と表現しました。それは、仏さまがいのちあるすべてのものを常に心配し、願い、何があろうとも必ず救わんとするそのお姿が、まるで我が子を慈しみの心で、あたたかく優しく包む母親の姿と似ているからです。

 その母親の徳と姿が、社会から失われつつあることを誠に悲しく思います。二度とこのような事件が起こらないことを、心から願います。

8月1日~失われゆく母の徳と姿2010年08月02日【125】

7月16日~7人の自然の名医

 全国で大雨の被害が多く出ています。早く梅雨が明けてほしいものです。

 さて、自然は時に人間に災害をもたらしますが、逆に自然には七人の名医がいるとも言われます。

 一番目は、「日光」です。最近は紫外線の被害を語る人もいますが、やはり外に出て、ある程度の日の光を浴びることは大切です。

 二番目には、「空気」です。田舎であっても、車が頻繁に往来する幹線道路付近と、少し奥まった道路付近とでは空気が違います。あなたはさわやかな空気を吸っていますか。

 三番目には、「水」です。おおよそ水は購入する時代になりました。しかし、自然のおいしい水を飲みたいものです。

 四番目は、「食べ物」です。何でも贅沢に食べることのできる時代ですが、一方では、食べ過ぎによる健康被害も言われます。自然のものをバランスよくほどほどに…が大切なようです。

 五番目は、「運動」です。膝の痛みを言われる方が多くおられます。植物は根が腐ると枯れ、動物は足の弱いものから他の危険にさらされます。適度な運動で足を鍛えましょう。

 六番目は、「休息」です。働きづめもよくありません。夜更かしもよくありません。休息をとって、規則正しい生活を送ることです。

 七番目は、「精神」です。「病は気から」、または「気の病」などと言ったりしますが、ものがあふれた中からは本当の豊かさが得られないことは、世の中の様々な事象が証明しています。私たちに必要なのはものの豊かさではなく、心の豊かさです。

 七人の自然の名医は、常々私たちの身の回りにあるもの、誰でも心がけのできることであります。暑い夏に向かって、今一度自らの生活の有り様を振り返ってみましょう。   (参考・現代法話実用大宝典)

7月16日~7人の自然の名医2010年07月16日【124】

7月1日~罰は当たるか当たらぬか…

 今年の梅雨は、殊の外よく降ります。

 さて、幼い頃、おじいさんやおばあさんから、「そんな悪いことをしたら罰が当たるよ」と言われたことがある人も多いと思います。仏様は罰を与えるような方ではないのですが、きっと戒めの一つとして言われたのでしょう。

 今、NHKの大河ドラマ「龍馬伝」が好評ですが、その坂本龍馬の師匠である勝海舟が、ある日、家で本を読んでいるとき、その家の勝手を知った弟子たちがどかどかと上がり込み、酒を飲み始めたそうです。

 しばらくすると勝海舟の耳に弟子たちの話し声が聞こえてきました。

 「世間で言う罰など当たりはせん。神社の狛犬にしょんべんをひっかけてみたが、これこの通り何も起こらん。ピンピンしているぜ」

 「罰などたわごと、迷信迷信」

 そのとき激しく襖が開きました。

 「バカモン、罰当たりな犬ども出て行け、犬ども出て行け」

 それは勝海舟でした。

 「罰なんぞ当たらんだと。おまえたちにはとうに罰が当たっているではないか。その証拠におまえたちはすでに人間じゃない。犬にされているじゃないか。人間なら神社の狛犬にしょんべんひっかけるなど、とうていできやしねえ。おまえたちは犬だ。とうに犬だ。さあ、出て行った出て行った」

 勝海舟が落とした雷に、弟子たちはただただひれ伏すばかりだったと言います。 私たちも、この弟子たちの行為まではないにしても、誰も見ていないから、どうせ知られることはないから、罰など当たりはしないからと、ときに人の道に外れた行いをしていることはないでしょうか。

 罰が当たる当たらないではなく、結果がどうのこうのではなく、人の道に外れた行いをしているそのとき、すでにその人は人でなくなっていることを、勝海舟は教えてくれています。
(参考・現代法話実用大宝典)

7月1日~罰は当たるか当たらぬか…2010年07月01日【123】

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