6月1日~ありのまま見るということ。
本格的な雨の季節、あじさいの花が鮮やかな色を放っています。
さて、先月、本願寺鹿児島別院で、幼稚園・保育園の新任職員の研修会があり、スタッフとして参加しました。今年先生になった初々しい方々ばかり、仏さまの教えや幼児教育について、皆真剣に学ばれました。
研修会終了後、参加者のアンケートを拝見すると、「子どもをありのままに見る、子どもを明らかに見ることの大切さを学んだ」という感想が一番多く、幼児教育の現場にいると、そのことがいかに難しいかが伺えます。
このような話があります。
むかし、ある村に一本の曲がりくねった松の木がありました。ある日、そこにひとりのお坊さんがやってきて、その木をじっと見つめていましたが、近くを通りかかった村人が、その人があの有名な一休さんだということに気づき、驚いて村中にそのことを知らせました。
それを聞いた村人たちは、一休さんに一目会いたいと、その松の木の所へ集まったそうです。そして一休さんは、村人たちに言いました。
「みなさん、この曲がりくねった松をまっすぐに見る方法はないでしょうか」
普段見慣れた曲がりくねった松の木ですが、高名な一休さんの言われることです。村人たちは、どこから見ればその松の木がまっすぐに見えるか、いろいろと移動しながら見ましたが、どこから見てもまっすぐには見えません。
しばらくして、たまりかねたひとりの村人が言いました。
「どう見ても、どこから見ても、この松はまっすぐなんかしてねぇ」
その言葉を聞いた一休さんが、「その通りじゃ、そなたこそが、この松をまっすぐに見た」と、その村人をほめました。
曲がったものは曲がったまま、そのまんまでで「まっすぐ」なのです。木も人間も同じです。一休さんは、村人たちにそのことを伝えたかったのです。子どもたち一人ひとりもそのまんまが尊いのです。
2010年06月01日【121】