こころの電話

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6月1日~人間、結局はひとり

 六月言えばジューンブライド、直訳すれば六月の花嫁。六月に結婚した花嫁は幸せになるというヨーロッパの言い伝えです。

 数日前、その結婚披露宴に招かれ出席しました。

 たくさんの方々に祝福されての披露宴でしたが、僧侶である新郎側の主賓は、元龍谷大学学長の信楽俊麿先生でした。

 信楽先生は、新たな人生をスタートをする二人へのはなむけの言葉として、「結局は人間はひとりということです」とおっしゃいました。

 世間一般では、結婚というお祝いの場において、「終わる、切れる、破れる、分かれる、戻る」という言葉を嫌いますが、そういう場において、「人間、結局はひとり」とい言われたのです。会場が一瞬シンと凍ったような雰囲気になりました。

 続けて先生は、「いくら結婚しても見る夢は違うし、考えも異なる。その中でそれぞれが悩みや苦しみ悲しみを抱えていかなければならないのが人間の本当の姿。ひとりでそれらを背負っていかねばならないのが本当の人間の姿です。だからこそ、あなた方は今、目の前の人を選んだのです。ひとりで背負っていかねばならない悩みや苦しみを、目の前にいる人と共に分かち合い、共に乗り越えていくために、今日この日を迎えたのです」とおっしゃいました。

 仏道は、「人間のいのちの現実を直視することから始まる」と言われますが、まさしく先生は、そのことを祝福の直中にあるお二人に話されたのです。

 お経の中に、「人は、ひとりで生まれ、ひとりで死に、ひとりで去り、ひとりで来る」という言葉がありますが、二人の出会いを祝福する日だからこそ、二人の人生の新たなスタートを誓う日だからこそ、あらためて人間の厳しい現実を互いに見つめることを諭されたのです。

 「人間、結局はひとり」。そのことを真剣に見つめるとき、目の前にある一つ一つの出会いが、あらためて輝いてくる世界があるのではないでしょうか。

(注:文中の信楽先生のお話は聞き取りで、一つ一つの言葉は正確でないことを申し添えます)

6月1日~人間、結局はひとり2011年06月01日【145】

5月16日~「後生の一大事」という言葉

 急に暖かくなったり、急に寒くなったり、朝夕の気温の大きな差に戸惑う日々です。

 さて、東日本大震災から約二ヵ月が経過しました。この震災でお亡くなりになった方、行方のわからない方々の数も次第に明確になり、五月中旬の時点で、死者が一四,八七七名、行方不明者が九,九六〇名となりました。追悼の思いと共に、誠に甚大な被害をもたらした大地震、大津波であったことを、あらためて感じます。

 この犠牲者の皆さまに思いをはせるとき、私はあらためて、「後生の一大事」という言葉をいただくのです。後生とは後ろという字に生きると書いて、この世のいのちが尽きた後に受ける「いのちの世界」のことです。

 この私がやがて受けるであろう「いのちの世界」を一番の大事として、人生を生きることを「後生の一大事」というのです。

 西本願寺の大谷光眞ご門主様は、著書の中で、「後生の一大事は日常生活を超えたところにあるいのちの問題を、私たちに突きつけた言葉です」とおっしゃっています。

 私たち一人ひとり、いついかなるときに、この娑婆の縁が尽きるかはかることができません。とても厳しいいのちの現実です。

 その時、私はどこへ行くのか、地獄へ落ちるのか、それとも極楽浄土に往生するのか、このことを聞き訪ね、解決することが、私のいのちの一番大事な問題だということです。

 私のいのちの問題、特に死について、目をそらすことなく考えることが、実は自分の生きる意味をしっかりと見つめることにつながる。これが「後生の一大事」ということです。

 ご門主様は、「死について考えることで、その人の生はきっと深く充実したものになるはず」とご著書の中で、おっしゃっています。

5月16日~「後生の一大事」という言葉2011年05月17日【144】

5月1日~親ならではこその姿を…。

 鯉のぼりが五月晴れの空を泳いでいます。

 さて、先月の二十八日は東日本大震災発生から四十九日目で、被災地の寺院や墓地では法要が営まれ、八十四人が死亡・行方不明になった宮城県石巻市の大川小学校でも合同供養式が勤まりました。そして、その直後、行方がわからなかった六年生の狩野愛さんのご遺体が、学校近くのお寺のがれきの中から見つかり、ご両親が号泣される姿がニュースで流れていました。

 震災直後から、被災地で愛さんを探すご両親の様子は報道されていましたが、特にお母さんが、愛さんが気づいてくれるようにと、愛さんが愛用していた毛糸の帽子をかぶり、来る日も来る日も涙で目を腫らしながら、わが子を探し続ける姿は、誠に切なく心が痛みました。

 ご遺体の発見は合同供養式が終わった直後、ズボンやベルト、そして足につけていたミサンガが登校したときと同じもので、ご家族が愛さんと確認し、深い悲しみの中にも、願いがかなったご両親の姿が印象的でした。

 私は、あのがれきの中を、わが子の名を呼びながら、来る日も来る日も探し求めるお母さんの姿に、親ならではこその姿を見ました。親が子にかける慈悲の心を感じました。

 慈悲の慈という字は「呻き」という意味です。悲という字は、心が引き裂かれるような苦しみという意味です。仏さまの慈悲の心とは、呻くような私たちの苦しみ悲しみから救わずにはおれないという、親ならではこその心であり、願いです。

 我が子を失った親の悲しみ苦しみは私にははかりしれませんが、少なくとも、わが子を捜し続けるお母さんの心は、愛さんが受けた苦しみ悲しみと共にあったと思います。心は一瞬たりとも離れることはなく、昼夜常に寄り添い愛さんを励ましておられたと思います。

 合掌と共に、深く親の慈悲の心を味わうことです。

5月1日~親ならではこその姿を…。2011年05月01日【143】

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