こころの電話

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7月1日〜お手本がいない世の中

 梅雨空の隙間をぬって差し込む光はすでに夏の日射しです。

 さて先般、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生のインタビュー記事を目にしましたが、日野原先生は年を取るということについて、「老化」と「老い」は違うとおっしゃっています。

 「老化」とは、老眼や白髪、しわが増え腰が曲がったりする肉体的なもの、自然的なものをいい、「老い」とは、その老化していく中に宿る自分、つまり心であって、考え方感じ方でいかようにも変わるということであり、もっと言えば、いかに自然の肉体的な老化があろうとも、老いは自分が創り出せるものであるということです。

 日野原先生は、その老いは自分でデザインしていくもので、そのヒントは、「私もああいうふうな人になりたい」という特定の人を目標にしたり、モデルにすることがいいとおっしゃいます。

 つまり、自分のあこがれ、お手本を持つことが、よりよい老いを創り出すヒントになるということです。

 その記事を読みながら、人が、自分のあこがれ、お手本を持つということがいかに大切かがわかりますし、それは老人も幼い子どもも同じだとあらためて思いました。と同時に昨今、子どもたちのあこがれ、お手本になる大人がいかに少ないことでしょうか。

 テレビでは、国民の年金の記録を紛失し放置していた社保庁の無責任体質、ブタや鳥の混合肉を牛肉100%と平気で偽る社長、土地建物の売却詐欺事件で逮捕された元公安調査庁長官など、耳を疑いたくなるような大人の姿が毎日のように映し出されています。

 まことにさびしくはずかしい気持ちになりますし、「子どもたちにとって、信じられる大人がいない。ましてやあこがれ、お手本とする人など、今の世の中にいない」、ここに社会的な大きな問題があるようにも思います。

 まずは身近なところから…、自らの日々の姿は、周囲の子どもたちにとっていかがでしょうか。少し立ち止まって省みることが大切なようです。

固定リンク | 2007年07月02日【51】

6月15日〜最後まで心を信じる

 あじさいの花が雨に濡れて、鮮やかな色を放っています。

 さて、今月初旬、ある裁判の判定が下されました。タレントの風見しんごさんの長女えみるさんの交通事故の裁判です。

 えみるさんは、一月十九日、自宅近くの横断歩道を青信号で横断中にトラックにはねられて亡くなりました。わずか十歳。大変痛ましい事故で、悲しいお通夜、お葬儀の模様がテレビで連日報道されていました。

 事故の加害者である二十三歳の会社員に下された判決は「禁固二年」でしたが、それに対し加害者は直ちに控訴しました。私は法律には詳しくないので、二年という期間が長いのか短いのかわかりませんが、この直ちに控訴した加害者の行為を残念に思いました。そして、父親である風見しんごさんはこれに対し、「最後まで心を信じます」と述べました。

 思えば事故直後、、風見さんはえみるさんを突然失うという極限の悲しみの中で、その別れを素直に受け入れられないと話しながら、「私は加害者を憎まない」と言いました。

 大切なわが子の命を一瞬にして奪われた。しかも横断歩道を青信号で渡っていたのにです。怒りや怨みの心が起きないはずがありません。親として娘の命を奪った加害者を殺してしまいたいという心が起きてもおかしくはありません。

 しかし、風見さんは、「娘はけんかが嫌いだったんで…」と、えみるさんが望むこと、喜ぶことを考えて、「憎まない」と言いました。そして、この度の控訴にも、「最後まで心を信じます」と言われました。

 「怨みは怨みによって鎮まることはない。怨みを忘れて、はじめて怨みは鎮まる」とは、お釈迦様の言葉ですが、私たちの日暮らしの中でこのことがいかに難しいか、自分自身の心を省みればわかります。

 しかし、仏さまとなられたお嬢さんの深い願いを受けて、「憎まない」言い、「最後まで心を信じる」と言ったお父様がいたことを、いつまでも深く心に刻みたいと思います。

固定リンク | 2007年06月15日【50】

6月1日〜自らの姿勢厳しく…

 強い日差しに照らされて、山々の緑がまぶしく輝いています。

 さて、五月末に、現役の大臣が自死するという大変痛ましい事件がありました。

 資金管理団体の高熱水費や事務所費の不透明な支出など、国会で大きな問題となっていましたが、その渦中の現職閣僚が自ら命を絶つという最悪な結果となりましたことは、誠に残念というほかはありません。

 この事件の翌日、ある小学校の低学年の生徒たちが、この事件の話を学校でしていたそうで、幼い子どもたちにまで影響を与えていることは大変危惧するところです。

 事の真偽はわかりませんが、「政治とお金の疑惑」について、野党は大臣を徹底的に追求しました。大臣は、「法律に基づいて適切に報告している」の一点張りで回避しようとしますが、与党のしがらみの中で、おおよそ孤立し四面楚歌の状況のようでした。

 残念と思うことは、国民の代表である政治家が集まった中で、一人の人間が自ら命を絶つまで、それを救う人が誰もいなかったこと、そばに寄り添い支える人が結果的にいなかったことです。

 政治家として、一人の人間として過ちがあったかもしれません。周囲はそこを徹底的に攻めました。ご本人も某かの事実を話して社会的に身を処することを考えたかもしれませんが、周囲からそれも許されなかったようです。完全に追い詰められた状態でした。

 東京都知事が他人事のように、「彼も侍だった」と言いましたが、今は、割腹を良しとする江戸時代でしょうか。

 人は誰しも過ちを犯します。だれしも欠点はあります。また縁によってどのようなことをするかわからない存在です。しかし、そのようなときに、本当にその人の身になって寄り添う人がいたなら、勇気を持って共に行動し、悩める人を支える人がそばにいたならと思わずにはおれません。

 一人の人間として、自らの姿勢が厳しく問われます。

固定リンク | 2007年05月31日【49】

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