こころの電話

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6月1日~そっと老婆心をどうぞ。

 梅雨の合間を縫って、射し込む太陽はすでに夏の日差しです。

 さて、禅宗のお坊さんで有名な道元禅師は、常々弟子たちに老婆心の大切さを説かれていたそうです。

 老婆心とは老いたおばあさんの心と書きます。辞書には、年取った女性の親切心が過ぎて不必要なまでに世話を焼くこととあります。

 おばあさんは、長い人生経験を持っていますから、いろんな所によく気がつきます。そしてついつい口や手が出過ぎてしまうものですから、必要以上の親切心をこのように言うのでしょう。でも、おばあさんのうるさがられるほどの相手への思いやりです。

 道元禅師は、老婆心は、人間が人間らしく生きぬくために、年老いた経験ある者が差しのべる思いやりの手であり、言葉でなければならないと諭されます。そして、ときには、誰にも見えないところで、そっと行われるものでもあります。

 また、それは決しておばあさんだけでなく、老若男女を問わず、だれしもが老婆心を持って周囲の人に接したいものです。

 ひととき、絆という言葉がよく使われました。人間同士の結びつき、人と人とが信頼によって結ばれていることです。仏教的に言えばご縁というこでありましょう。

 しかし、日常の私たちの周囲を見回すとき、社会から、地域からこの老婆心が次第に薄れつつあるように思います。

 家庭で、学校で、地域で、仕事場で、少しこの老婆心を働かせてみたらどうでしょう。
 くどすぎることには注意をしなければなりませんが、自分の隣の人や周囲の方に対して、思いやりの心を忘れていないか。優しい言葉かけやお手伝い、また適切なアドバイスができているか、顧みることも大切です。

 人と人のつながりが見えにくくなっている今日、少ししつこいくらいの老婆心があってもいいのかもしれません。

6月1日~そっと老婆心をどうぞ。2013年06月04日【193】

5月16日~本当の安心恵まれるから…

 すがすがしい風が、青葉若葉を揺らしています。

 さて先日、ご両親の法事でお寺に来られた男性が、「なぜ浄土真宗は占いや祈祷を否定するのですか」とお尋ねになりました。

 私はその男性に、「確かに仏教という宗教も、浄土真宗という一宗派も、教義の上から占いや祈祷を否定しています。私の個人的な味わいとしては、浄土真宗のみ教えに出遇うと、人生の中で、占いも祈祷も全く必要でなくなることだと思います」と答えました。

 私の知人に占いがとても好きな女性がいます。

血液占いがはやると本を求めては職場で友人たちと必死に見ています。手相がはやった時も、動物占いとやらがはやったときもそうでした。

 その会話の内容は、自分が得をするか損をするか、自分にとって都合の良いことがあるかないか、どうも自分中心の内容ばかりで、周囲の方々のことはあまり眼中にないようです。

そして毎日の日暮らしの中で、自分に都合が悪いことがあるとまた別の占いに走り、好転を図ろうと躍起になっています。

 仏教の教えや浄土真宗のみ教えに出遇うとそんな必要が全くなくなるのです。気にならなくなるのです。そして慌てなくていいのです。

 仏教の教えに出遇うと、「人間が生きていくことの現実を逃げることなく直視すること」を教えられます。私のいのちは、周りのあらゆるいのちに生かされていることに気づかされます。

そして、自分にとって都合の良いことも、逆に悪いことも、その一つ一つが、一度きりの人生の中で、とても大切な意味があることを教えて下さいます。

 さらに、仏さまという存在は、この私をいつでもどんなときでも、常に救おうと働いて下さっていることに気づかされます。

 ですから、占いに走る必要もありません。自分の幸運を求めて祈る必要もありません。本当の安心を恵まれるからです。

 とても楽で、穏やかな日々を送ることが出来るのです。

5月16日~本当の安心恵まれるから…2013年05月18日【192】

5月1日~舌はわが身を切る刀…

 季節は晩春というのに、朝夕冷え込む日があり、油断をすると風邪をひきそうです。

 さて、先日、東京都の猪瀬知事が米国の新聞ニューヨーク・タイムズのインタビューで不適切な発言をしたことが報道されていました。

 オリンピック招致に関する記者の質問で、ほかの立候補都市を引き合いに「イスラム諸国で人々が共有しているのは唯一、アラーだけで、たがいにけんかばかりしている」という内容の発言をしたというのです。

 猪瀬知事がどのような意図を持って発言したのか分かりませんが、発言が本当であれば、スポーツの祭典であるオリンピックの立候補都市の長として、好ましい発言ではありませんし、日本と他の国を比較して批判するのではなく、日本での開催のすばらしさや利点をさらに主張すべきであったと言えます。

 そして、この度のことは猪瀬知事だけでなく、言動で意思を伝える私たち一人ひとりが共有する問題でもあります。

 仏教では、私たちは日々、大きく分けて三つの業、行いで生活をしていると説かれます。

 一つが身体の身の業と書いて体の行いです。私たちの手足は、他人を助けることも出来ますが、逆に傷つけることも出来ます。

 二つ目が口の業と書いて言動です。私たちの口から発する言葉は、人を勇気づけたり助けたりもしますが、逆に言葉によって相手を傷つけたり、時には人を殺すことさえあります。

 三つ目が意思の意の業と書いて心、思いです。体による行動も言動も、普段の心の有り様が表に現れた姿と言えましょう。
 

 猪瀬知事のこの度の発言も、オリンピック招致に一生懸命になるがあまり、他国よりもわが国に、他の都市よりもわが東京に…という強い思いが、つい悪い形で出てしまったのかもしれません。

 しかし、舌は人を切り、たちまちわが身を切る刀となって返ってきます。
 
 一人ひとりが自らに厳しく戒めたいことであります。

5月1日~舌はわが身を切る刀…2013年05月02日【191】

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