こころの電話

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3月1日~タンポポのように力強く

 三月は別れの季節。各学校では卒業式の準備が始まります。

 さて、日の光や雲の様子には春らしさを感じるこの頃ですが、時代とともに道路は整備されて、幼い頃、春先に目にしていたタンポポをすっかり見なくなりました。

 仏教詩人の坂村真民さんは、このような詩を詠んでおられます。

 タンポポのように強く生きよう
 踏みにじられても 
 食いちぎられても
 死にもしない 
 枯れもしない
 その根強さ
 そして つねに
 太陽に向かって咲く
 その明るさ 
 わたしはそれを 
 わたしの魂とする

 私たちの人生は、いつどこでどのような苦難に遭うか、予想もしない不幸が待ち受けているか分かりません。

坂村さんは、そのような人生の厳しい岐路に立たされたとき、逃げるのでもなく、諦めるのでもなく、避けるのでもなく、すっくと前を向いて立ち上がる姿を、タンポポの花に見ておられます。
 
 わたしが大切だと思うのは、その力強いタンポポが常日頃、根を張っている大地があるということです。

 タンポポが踏みにじられようとも、食いちぎられようとも、その根を力強く包み支える大地があるということです。

 親鸞聖人は、その根っこを人間のいのちに喩え、その私たちのいのちを包み支える大地が仏さまの願いであり、お念仏のみ教えといただかれました。

 いかなる苦難があろうとも、それを乗り越えていく道がある。タンポポのようにその大地にしっかりと根を張って、仏さまの願いとその教えを拠り所に力強く生きる。それが浄土真宗の仏道です。

3月1日~タンポポのように力強く2013年02月23日【187】

2月16日~鬼は外、福は内という生き方は…。

 今年もインフルエンザが流行しています。手洗い、うがいを心がけたいものです。

 さて、今月三日は節分でした。「鬼は外、福は内」と大きな声を出しながら福豆を撒いて、厄除けを行う光景がテレビで放送されていました。

 これは、季節の変わり目には邪気が生じると考えられており、それを追い払うために、昔、宮中でされていたものが一般化して残ったものです。

 一見すると、楽しくほほえましい風景で、また伝統行事ですから大切にすべきかもしれませんが、お念仏のみ教えを聴聞されるご門徒の多くは、昔からその行事を行おうとされませんでした。

 それは、「鬼は外、福は内」という生き方に問題意識を持っておられたからだと思います。ここでいう鬼とは、自分にとって都合の悪いもの、逆に福は都合のいいものを指しています。

 先輩念仏者の方々は、自分にとって都合の悪いものは外に、都合のよいものは内にという自己中心的な人間の有り様を、常々、自らの生き方の中に問うておられたからだと思います。つまり、本当に怖い鬼は外にいるのではなく、自分自身の心の中に住んでいるということです。

 私たちは、自分にとって都合のいい事柄や得をすること、自分の思いに賛同してくれる人はすぐに取り込もうとします。逆にそうでない事柄や損をすること、自分の意見に反対する人は避けようとします。

 自分さえよければいいという思いは、裏を返せば他人はどうなってもいいという姿勢に他なりません。まさに鬼の姿です。

 仏様のお心は、自他共に分け隔てなく、平等に救ってくださる世界です。その智慧の光に照らされたとき、私たちは初めて自らの恥ずかしい有り様に気づかされます。そして、その真実の教えに導かれたときに、まことの生き方が開かれてきます。

 それは、仏法聴聞を重ねるところに開かれる世界です。

2月16日~鬼は外、福は内という生き方は…。2013年02月16日【186】

2月1日~亡き人を偲ぶご縁を通して…。

 年が明けたと思ったら、一月が一気に過ぎていきました。

 さて、昨年末から寒さが厳しかったからでしょうか、例年になくお葬式が多い日々でした。

 そして、そこにはそれぞれのご家族の悲しい別れの姿がありました。

 お通夜、またお葬式は、かけがえのない人と別れていかなければならない悲しみの場であり、その遺徳を偲びつつ、感謝の思いで勤めるものですが、と同時に、その悲しいお別れを通して、自分自身のいのちを見つめる大切な場でもあります。

 私たちは、普段病気をすることもなく、悩みや苦しみがないときは、「人間死んだらおしまい」、「お浄土とか、天国とか、地獄とか、昔の人の作り話だ」などと思いがちですが、実際に、自分のかけがいのない人や、愛する人を失ったとき、本当にそのようなことが言えるでしょうか。他人事と思っているからそう言えるのではないでしょうか。

 愛する人は死んだらお終いでしょうか、亡くなったかけがえのない人はどこへ往かれたのでしょうか。加えて、自分自身がいよいよそうなったとき、その一大事をどう受け止めるのでしょうか。

 もしかしたら、私たちは「イソップ物語」のクジャクの羽で着飾ったカラスかもしれません。

 地面に落ちているクジャクの羽を一枚一枚拾って身につけ、美しく理知的なクジャクのように振る舞って周りを欺くカラスが、突風が吹いたとたんに羽がすべて剥がれて、たちまちもとの真っ黒のカラスに戻ってしまうというお話です。

 このカラスは、うすっぺらの知識や世間のわずかばかりの地位名誉、一時的な楽しみばかりの羽で身をまとい、本当の自分のいのちの現実を、本当の姿を見つめることのない人間の愚かな姿です。

 無常の突風が吹けば、それらはすべて吹っ飛んで、たちまちそこにはどう飾りようのな
い私のいのちの現実が待ち受けています。

 亡き人を偲ぶご縁を通して、自らのいのちを深く見つめましょう。

2月1日~亡き人を偲ぶご縁を通して…。2013年02月01日【185】

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