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8月1日~若いときに親しんで…。
日照り続きで雨が降りません。代わりに桜島の灰が降ってきます。過ごしにくい夏です。
さて、昔から先人たちは、仏さまの教えには若いうちから親しんでおいた方がいいと言われました。蓮如上人も「若いときにこそ、仏法を学ぶよう心がけなさい」と言われています。
先日、大坂で開かれた保育の研修会に参加しましたが、講師が元シンクロナイズドスイミング選手の奥野史子さんでした。
奥野さんは、シンクロを通して経験したこと、学んだこと、人生で大切だと思うことを話してくださいましたが、その中で、四天王寺高校時代の思い出を話されました。
四天王寺高校は、「和を以って貴しとなす、四恩(国の恩・父母の恩・世間の恩・仏の恩)に報いよ、誠実を旨とせよ、礼儀を正しくせよ、健康を重んぜよ」という仏教を深く信仰された聖徳太子の教えを校訓にする学校です。
奥野さんは高校時代、毎日のように学校でこれを唱えて過ごしましたが、若いときには「何やこれ」といった感じで、全く無関心だったそうです。
ところが、結婚をし親となり、子どもを育てる身となって、なるほど、大切にしなければならない事柄だし、子どもたちに伝えていかねばならないことだと、大人になってから思うようになったと、話されました。
若いときは、特に学校では半強制だったかもしれません。形式だけだったかもしれません。しかし、そこで説かれていることが、大人になって家庭や仕事を持ち、様々な問題を抱えなければならない奥野さんの心に、次第に実感として、染みいってきたのでありましょう。
仏法は、恵まれたいのちの現実をしっかりと見据えて、一度きりの人生をどのように生きるのかという問いから始まります。
今年もお盆がやってきます。自分自身はもちろんですが、子や孫たちにもその大切さを伝えるよき機会になればと思います。
8月1日~若いときに親しんで…。 | 2013年08月02日【197】
7月16日~自分の死後の姿を…
「本当に暑い毎日ですね」、どこに行っても、誰と会っても、このような挨拶の会話です。
さて、僧侶という勤めから、お葬儀やご法事に参る機会がたびたびあります。
すると、人がお亡くなりになった後の姿というものを、見たり聞いたりする機会があります。といっても誤解しないでください。幽霊とか死後の世界といった類いのものではありません。
例えば、生前に、仕事や社会で多くの業績を残し、周囲の人から「立派な方だ、すばらしい人だ」と尊敬され、亡くなった後も名声を残し敬われる人があります。
例えば、生前に、社会的にも経済的にも成功し影響力のある立場になり、周りには取り巻きもでき、胸を張って活動するのですが、亡くなった後はさっぱり誰も何も言わなくなる人もあります。
例えば、生前に、周囲の人から悪口を言われ、つまはじきにされて、亡くなった後でも悪口を言われ続ける人もいます。
例えば、生前に、周囲の人からうるさがられて、敬遠されていながら、亡くなった後に思い出され、その存在感の大きさに気づかれて、後になってからとても慕われる人もいます。
この他にも様々な人の死後の姿がありますが、あなたは、どのような人がすばらしい人生を送った方と思われるでしょうか。
そして、このことは決して人ごとではなく、そのまま、やがての自分の問題でもあります。あなたは、どのような死後の姿を理想とされるでしょうか。
人の評価や目を気にして生きることは好ましいことではありませんが、逆に自分勝手、ゴーイングマイウェイも良くはありません。
でも、自分の今の生き方そのままの結果が、やがての姿につながっていくことだけは確かです。
ときには少しの時間立ち止まって、自分自身のやがての姿をイメージすることも大切なことでありましょう。
7月16日~自分の死後の姿を… | 2013年07月15日【196】
2013年7月1日~人生根底から支える力を…。
空梅雨と思っていたら長雨に…。梅雨らしい天候が続きます。
さて、最近本屋さんに「力」という文字がつく本が沢山並んでいます。
「考える力」「聞く力」「生きる力」「伝える力」「話す力」「稼ぐ力」などなど。それぞれの著者がその経験を通して、生活の中で役立つヒントを記しています。
浄土真宗で力のつく言葉といえば、「他力」です。
他力といえば、他人の力を借りるという意味で、依存主義や怠け主義を象徴する言葉として理解されがちですが、それは誤った受け取り方で、本来浄土真宗の教えを聞かれている方は絶対にそのような意味では用いません。
「他力というは如来の本願力なり」と親鸞さまが述べておられるように、他力とは、「いつでも、どこでも、どのようなときでも、私はあなたの人生を絶対に支えます。だから逃げることなく、ごまかすことなく力いっぱい精いっぱい生きぬきなさい」とはたらきかけてくださる、阿弥陀如来の本願のことです。
この本願のお心は、よく母親の心に喩えられます。
母親は、いつでも、どこにいても、どのようなときでも、わが子どものことを案じ通し、願い通し、心配し通しです。
そして毎日、自分のことよりも子ども第一と、子どもの身の回りのことをするのに精いっぱいです。
一人の人間がこの世に生まれてから大人になるまでには、様々な悩みや苦しみ、また不安を抱えながら成長するわけですが、その子どもの人生を根底から支える母親の願いがあるからこそ、子どもに安心があるのであり、その絆に支えられてこそ、子どもは様々な難関を乗り越えていく力に恵まれるのです。
他力とは、この母親の願いに喩えられる阿弥陀如来の尊いお心であり、まさしく今の今、私の人生を根底から支える智慧と慈悲にあふれる力のことであります。
そのはたらきを聞き、その力をより所とするところに、まことの安心と喜びに満ちた力強い人生が開かれるのです。
2013年7月1日~人生根底から支える力を…。 | 2013年06月29日【195】