こころの電話

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9月16日~全国の皆さん、お仏壇を…。

 秋の彼岸が近づき、時折吹く風に秋の気配を感じます。

 さて、九月八日の早朝、日本全国に歓喜の声が響き渡りました。

 アルゼンチン・ブエノスアイリスで行われたIOCの総会で、「二〇二〇年夏季オリンピック・パラリンピック」の開催地が、東京に決定したからです。

 一九六四年以来、五十六年ぶりの夏季大会。私も、決定の喜びを抱き合いながら喜ぶ招致団のメンバーをテレビで見ながら、とても感動することでした。

 また、それに引き続き放送された特別番組の中で、もう一つ感動したことがありました。

 それは、過去のオリンピックを思い起こす場面で、四十九年前に開催された東京オリンピックの開会式スタート、緊迫の場面が放送されたときです。

 テレビの放送席にゲストとして招かれた、当時人気俳優だった森繁久弥さんは、マイクに向かって「全国の皆さん、お仏壇をあけてください。この盛大な模様をご先祖様に報告しようではありませんか」と、語りかけたのです。名文句として残されています。

 戦後十九年、苦しい時代を経て迎えたオリンピックは日本の復興の象徴でした。

 苦労多き日々だったけれど、その栄えある行事を迎えられたのは自分たちだけの力ではない。

 お浄土におられる戦争で亡くなられた親兄弟をはじめ、ご先祖方のお陰があってこそ。

 ならばこの輝かしい様子をご先祖方にもぜひ見ていただきたい。森繁さんはその気持ちをこのように表現されたのです。

 そして、森繁さんが「全国の皆さん」と呼びかけたということは、その当時の多くの家庭では、中心がお仏壇であり、仏さまであったということでしょう。

 七年後、再びその栄えある模様を迎えることができたならば、その喜びを、自分ならば何と表現しましょうか。

 また、あなたの家の中心は何でしょうか。もし仏さまではなく人間さまであるならば、少し残念な思いがします。

 招致決定の喜びとともに、一考させられる朝でした。

9月16日~全国の皆さん、お仏壇を…。2013年09月17日【200】

9月1日~心はどこにあるのですか?

 長い夏休みも明けて、子どもたちは元気に学校に通い始めました。

 さて、夏休み中、私が時折聞き入ったラジオ番組があります。それはNHKの「夏休み子ども科学電話相談」で、昆虫や動物、宇宙や科学など、子どもたちからの様々な質問について、専門家が電話で答えるという番組です。

 そして、今年特に聞き入ったのは、小学生低学年の男の子からの「心ってどこにあるのですか」という問いです。
 スタジオの数名の専門家が、わかりやすい答えを真剣に考える様子もほほえましく、その懸命なやりとりに私もあたたかな気持ちになりました。

 科学的に言えば物事は脳で思考するので、心は頭にあると答えたいところですが、どうもそれだけでは答えにならないようです。

 「心を入れ替える」、「心を決める」、「心を砕く」といった場合は、考えや判断、分別を意味し、心は頭にあるような気がします。

 「心のこもった贈り物」、「心に残る出来事」、「心が顔に表れる」といった場合は、本当の気持ち、思いやりや人情を意味し、心は胸のあたりにあるような気がしますし、「心がときめく」、「心を痛める」という場合、人は手を胸に当ててそれを表現します。

 「生まれつき心は変わらない」、「ねじけた心は直らない」という時は、性分や性根を意味して、その人全体に心はあるような思いもします。

 「心と心のふれあい」、「心が通い合う」という場合は、人と人の間で心が交わり合うような思いがします。

 心といっても様々な意味があり、生活の中で様々な表現もあり、一口でここにあるとはなかなか答えられませんし、それだけにとても大切なものだということを、あらためて感じます。

 そして、その心のあり方を常に問うてくださるのが仏さまの教えです。

 仏法を聞くことを聴聞といいますが、それは仏さまのみ教えに、私の、まこと真実の心の有り様を、聞き開いていくことに他なりません。

 子どもだけでなく、大人も心の習学が必要なようです。

9月1日~心はどこにあるのですか?2013年09月03日【199】

8月16日~宝くじが当たったなら…。

 今年もお盆の法要が終わりました。

 お寺でも初盆の合同法要を行いましたが、子どもからお年寄りまでたくさんの方々が参拝し、法話を熱心にお聴聞くださいました。

 親しい方の初盆を通して、多くの方々が仏縁を結んでくださることは、誠に有り難いことです。

 話は突然変わりますが、あなたは宝くじを買ったことがありますか。

 私は普段求めることはないのですが、一ヵ月ほど前、またまた売り場の前を通り、何気なしにサマージャンボを二十枚ほど求めました。

 宝くじは夢買いといったものです。買った日から私の頭の中にいろんな夢が広がりました。

 何せ一等三億円、前後合わせると五億円。もし当たったら家を買いましょうか。車を買いましょうか。家族で海外旅行をしましょうか。いえ贅沢はいけません。老後のために貯蓄貯蓄。いやその前に、長年お世話になった両親にもお礼をしなくては。いやいやもっとその前に五億円なんて欲張りすぎ。二等の五百万円で十分良しとしましょうか…などなど、夢は広がる一方です。

 しかし、数日経って、私はとても恥ずかしい思いに駆られました。

 自分で買った宝くじですから、どのような大きな夢を見ようと勝手です。

 しかし、自分の見た夢を顧みると、その内容は全て自分のことか、自分の家族か、自分の家のことばかりで、自分の周囲のことや、地域のことや、社会のことなど何も入っていません。

 今現在、貧困や感染症で苦しむ世界の子どもたちのために寄付を、また途上国で十分な教育が受けられない子どもたちのために何か協力を…といった夢は、恥ずかしながら何一つ頭の中に出てきませんでした。

 「宝くじ一つで、そんなに堅いことを言わなくても…」とおっしゃる方もおられるでしょう。でも、私の見た夢が、私の欲望そのままだったことは現実です。

 仏法を常々聞きながら、欲望から離れられぬ私がありました。

8月16日~宝くじが当たったなら…。2013年08月16日【198】

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