こころの電話

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7月1日~いのちの保険の窓口へ

 雨にぬれた木々の緑が一層濃く見えます。

 新型コロナウイルス感染防止のため、行事や法要ができなかったしわ寄せが六月末に集中し、先月後半のテレホン法話の更新ができませんでした。いつもお聞きくださっている皆さまへお詫びいたします。

 さて、先週の夜、幼稚園で職員会議の最中、豪雨に雷鳴がとどろき、まもなく大音響とともに落雷しました。

 頭上より大変な衝撃がありましたのできっと近くへの落雷です。途端に幼稚園の火災報知器が鳴り、電話はつながらず、エアコンもコピー機も壊れて、職員皆てんてこ舞いで対応しました。

 そして、私一人だけでなく、職員がいてくれたから本当によかったなと、後からつくづく思うことでした。

 翌朝から、火災報知器や電話の会社、印刷機器やエアコンの会社への連絡です。

 梅雨時期ですから当然、我が幼稚園だけでなく、いろんなところに落雷はあり、業者さんが多忙を極める中、駆けつけて修理をしてくださいました。

 幸い建物全体が保険に入っていましたので、高額の修理代はすべて保険会社から保証され、あらためて保険の有り難さを感じることでしたが、同時に、自分のいのちの保険について考えさせられました。

 ここで言う、いのちの保険とは生命保険のことではありません。

 皆一人ひとり毎日、老いと病と死をかかえながら生きています。特に病と死には後先順番がありませんし、避けることも代わってもらうこともできません。この度の落雷のように、いついかなる時に、それがやってくるか分からない。それを無常と言います。

 その時に、自分のいのち行く末がはっきり保証されていれば安心ですが、保証もなくどこに行くか分からない状態は、迷いと不安でありましょう。

 あなたは、いのちの保険に加入されていますか。

 いのちの保険はお金では買うことはできませんが、その保険の窓口はお寺にあり、どなたでも無料で加入できます。どうぞお気軽におこしください。

固定リンク | 2020年07月01日【359】

6月1日〜本堂の逆さに彫ってある花は…

 南の夜空に白く輝く真珠星が見える季節です。乙女座の一等星・スピカと言います。

 さて、浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、大きなお寺の立派な高僧として過ごされたのではなく、どれほど頑張ってみても、自らの力では完全な悟りを得ることができない私たちが、阿弥陀仏の本願力によって皆、平等に救われていくことをお説きくださいました。

 先日読んだ本多昭人先生の『ふたたび出会う世界があるから』(本願寺出版社)という本の中に、本多先生と先生のお寺を訪れたあるご婦人のお話がありました。

 そのご婦人は、本堂の美しい花の彫刻が施してある欄間を指して、自分の所属するお寺にも、本多先生のお寺にも、逆さに彫ってある花があることを話されたそうです。

 お浄土の美しい様子を表現したお寺の欄間であれば、皆正面を向いて、きれいで立派に咲く花ばかりでいいはずです。ところが確かに、その中に逆さに裏を向けて咲く花があるのです。

 その逆さ向きの花は、何事にも完全なものはないということを表しているそうです。しかし、不完全でも、不出来でも、未熟でも、阿弥陀さまのご本願は必ず平等にお救いくださることを、その逆さ向きの花は表しているそうです。

 本多先生も初めて知ったと書いておられますが、私もこれまで知りませんでした。

 しかし、そのことを知ってから毎朝、本堂でお勤めしますと、欄間の見方や味わい方が変わってきました。

 自分自身はいつもあの凜と美しく正面を向いて咲く花だろうか。縁があれば、怒りや腹立ち、妬みや嫉みが心に湧いて、すねて裏ばかりみせている花の方ではなかろうか。そう思ったときに、そのような私を見捨てないと誓われた阿弥陀さまのご本願の有り難さが心に染みてくる気がしました。

 どうぞ、今度お寺にお参りになった時に、ぜひ欄間をゆっくり見て下さい。見方、味わい方はあなたの自由です。

固定リンク | 2020年06月01日【358】

5月16日〜地獄・極楽はどこに…

 新型コロナウイルスの緊急事態宣言は、九州全域解除となりましたが、引き続き一人ひとりが衛生管理に努めることが大切です。  

 さて、昔から仏教のお話には、よく地獄と極楽という言葉が出てきますが、地獄と極楽はいったいどこにあるのでしょうか。

 これは江戸時代中期のお話です。ある日、臨済宗の高僧・白隠禅師のところに、一人の武士が訪ねてきて、「地獄や極楽はどこにあるのか」とたずねたそうです。

 その問に対し白隠禅師は、「おまえさんは武士であろう。武士というものは、常に生死を超えているものだ。その武士が地獄・極楽をわしに聞きに来たということは、さては死ぬことが怖くなったのだな。なんとも情けない武士だ」と、散々罵倒したそうです。

 武士はじっと我慢して聞いていましたが、白隠禅師の侮辱の言葉があまりにも続くのでついに怒りが頂点まで達し、「いかに高名な白隠和尚といえども、わしに放ちたる侮辱の言葉は許すわけにはいかぬ。覚悟しろ」と、刀を抜いて禅師に斬りかかりました。

 すると、白隠禅師はそれをするりと交わして、すかさず言ったそうです。

 「それ、そこが地獄だぞ」

 その言葉を聞いて、武士ははっとします。そして、刀を捨て禅師の前に伏して、「白隠和尚、申し訳ございません。有り難うございます」とお礼を言いました。 「おお、わしが伝えたいことがわかってくれたか。それ、そこが極楽じゃ」

 白隠禅師は、微笑みながらそう言われたそうです。

 仏教では、自らの行いによって死後に行く世界を地獄、極楽と説きますが、それと同時に、私たち一人ひとりの心の有り様を常に問うのも仏教です。

 このお話は、怒りや腹立ち、妬みや嫉みが自分の心の中に起きたとき、それを抑えることはとても難しいことですが、その瞬間に、自分の足は地獄への道を進んでいることに気づくことの大切さを伝えています。
(仏教法話大辞典より)

固定リンク | 2020年05月18日【357】

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