こころの電話

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10月1日〜いつでもどこでも私とともに…

 食欲の秋、新米がおいしい季節となりました。

 さて、昔から、家族のどなたかを亡くされたご家庭で、よく親御さんが幼い子どもに、「おじいちゃんはね、あのきれいなお星様になったんだよ」とお話になる時があります。いったいあれにはどういう意味があるのでしょうか。

 時折、まだ満点の星が輝く早朝に散歩をすることがありますが、夜がゆっくりと明けていくにつれて小さな星、光の弱い星から次第に消えていき、やがては大きな星、燦然と輝く星も消えていきます。

 しかし実際は、あの星たちは空から消え去ったわけではなく、私たちの目に見えなくなっただけで、いつでもどこでも変わらずそこに存在しています。

 お釈迦様はそのことを月にたとえてこうおっしゃいます。

 月が隠れると、人々は月が沈んだといい、月が現れると、人々は月が出たという。けれども月は常に住して出没することがない。仏もそのように存在して変わることがない。

 古代のインドの人々も、夜昼かわらず月も星も消えることなく存在していることを知っていて、そのことを永遠に変わることなく存在する仏さまとその教えにたとえています。

 お釈迦さまは、ご自身が亡くなるときに、嘆き悲しむ弟子たちに、「私はこの世から亡くなるけれど、悲しむことはない。これからは私の残した仏の真実の教えをたよりとしなさい」と話され、時代がどのように変わろうとも、永遠に変わることのない仏の教えを人生の支えとすることを勧められました。

 冒頭の幼い子どもへのお話は、きっとそのことを知っておられたご門徒が、亡くなられた方々は仏さまとなって、お月様やお星様のように夜でも昼でも、どこにいても、常に存在し照らしていてくださることを、お話しくださったのだろうと思います。

 大切なことは、私たちが敬うべき存在、たよりとする教えは、いつでもどこでも私たちとともにあるということです。

固定リンク | 2020年10月01日【365】

9月16日〜人生を生き抜いた人として

 黄金色に実った稲穂の上を、輝く風が吹き渡ります。

 さて先日、NHKラジオで青森県のシブタニさんというお方が、「八十一歳と十八歳」という言葉を紹介しておられました。

 どんどん歩いて行くのが十八歳  よろよろと歩いて行くのが八十一歳
 大人の階段を上るのは十八歳  家の階段も上れないのが八十一歳

 年をとると目に見えて足腰がよわくなっていきます。

 心がもろいのが十八歳  骨がもろいのが八十一歳
 恋に溺れるのが十八歳  風呂に溺れるのが八十一歳

 あぶないあぶない、年をとるともろくなるところも、溺れるところも違います。

 まだ何も知らないのが十八歳  もう何も覚えていないのが八十一歳
 自分探しをしている十八歳  皆が自分を探している八十一歳

 長寿社会になると、年寄りを取り巻くまた新たな問題も出てきています。

 どれも人間の一生を端的に表している言葉ですが、自分の今と照らし合わせてみていかがでしょう。クスッと笑ったり、しみじみと考えたり、それぞれの反応があることでしょう。

 これらを仏教的に表現するとどうでしょうか。年をとると、それなりに様々な別れを体験し、それなりに老いも病も経験し、いのちを深く見つめる機会もあるものです。

 気恥ずかしくてなかなかお念仏が出ないのが十八歳  いつでもどこでも堂々とお念仏が出るのが八十一歳
 
 日々お念仏とともに日暮らしをしたいものです。  

 いのちの行き先がまだまだわからないのが十八歳  いのちの行き先がお浄土とはっきり言えるのが八十一歳

 長い人生を生き抜いた人として、子や孫たちに自分のいのちの行き先をはっきりと言える年寄りでありたいと思います。

固定リンク | 2020年09月16日【364】

9月1日〜大切なことはただ一点のみ

 朝夕の虫の声に涼しさを感じる季節です。

 さて先日、友人との会話の中で、友人が私に、「君はタバコをよくやめることができたね。食後のタバコはおいしいし、仕事でストレスがたまるので僕はつい吸ってしまう。君はどうして禁煙ができたの」と問いかけました。

 彼は結構なスモーカーで、これまで禁煙に何回か挑戦するも達成できず、今から二十年ほど前に、一回の挑戦でやめた私に対しての質問です。その質問に、私は禁煙をするきっかけとなった落語家の露の新治さんの講演の話をしました。

 露のさんは講演の中で、「皆さん、タバコをやめる方法を教えますから、よく聞いてくださいよ」と言った後、聞き入る聴衆に対して「それはね、吸わんことです」と言われました。

 あまりにもあたりまえすぎる話に、会場全体あっけにとられて大爆笑だったのですが、よく考えてみればその通りで、禁煙とはタバコを吸わないこと、吸えば喫煙。ですからずっとタバコを口にくわえずにさえいれば禁煙はできます。

 もちろん私も、それまで友人同様やめられぬ理由をあれこれ並べていたのですが、その話を聞いてから「吸えば喫煙、吸わなきゃ禁煙」と、私はただひたすらそれだけを心の中でずっと思い続け実践したお陰で禁煙ができました。

 私たちは、ついストレスがたまるからとか、食後にはつい一本とか、仕事が忙しいからとか、あれこれ理屈をつけて自分ができない言い訳をしがちですが、大切なことはただ一点のみ、意外と単純明快なのかもしれません。

 信仰という点でも同様のことが言えるかもしれません。私たちは生活の中で、何か思わぬ事、悩みや辛いことが起こるとつい、占いに走ったり、いろんな寺社仏閣を訪ねては祈祷に行ったり願ったり奔走しがちです。

 親鸞さまは、「本願を信じ念仏申さば仏となる」と言われ、阿弥陀仏の本願のおいわれを聞いて、素直にうなずく身とならせていただき、念仏を申すならば必ず救われることを示されました。極めて単純明快です。

 私たちは、その単純明快な教えをただただ素直にいただくだけであります。

固定リンク | 2020年09月01日【363】

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