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10月1日〜子どもたちの素晴らしさを

 季節は秋冷、朝夕の風に冷たさを感じるこの頃です。

 さて、幼稚園で日々子どもたちと接していると、子どもたちの素晴らしさを感じることがよくあります。

 その一つは、お友だちの長所を素直に認め、褒め讃えることです。

 例えば、「今日誰々ちゃんは、先生にほめられたんだよ。すごいね」とか、「誰々ちゃんはかけっこがいつも一番ですごいんだよ」とか、「誰々ちゃんはお絵かきがとても上手なんだよ」など、友だちの長所や、よい出来事を素直に認め、また周囲に対してそれを紹介し、褒め讃えることができる素晴らしさです。

 なぜ素晴らしいかといえば、大人にはそれが難しいからです。特に同年代であったり、同じ生業をしてる人の場合はさらに難しいようです。

 身近な人に何かよいことが起こると、口では社交辞令でお祝いを申しますが素直に心から喜ぶことができなかったりします。友人が自分よりもよい評価をされたり、自分を追い越していったならば焦りやいら立ちが湧いてきて、心から喜ぶことができなかったり、逆にけなすことさえあります。

 それは大人の心には常々、自分は他人と比較して優れているという妄想や、自分を真剣に顧みることをせず、自らの不完全さを知らない驕り高ぶりがあるからです。それ故、周囲の人に何かよいことがあると、それを素直に認めたり褒めたりすることができないのです。

 『阿弥陀経』というお経には、阿弥陀仏の本願念仏こそが、一切の人々が等しく救われる真実の教えであることを、東西南北上下のガンジス川の砂ほど多くの仏さまたちが証明し、勧めてくださっていることが説かれています。

 仏さまとは、私たちいのちあるものを救わんと、休むことなくはたらきかけてくださっている存在で、言わば阿弥陀仏と同朋の仏さま方が、阿弥陀仏の本願念仏の素晴らしさを褒め讃え勧めておられるのです。

 そこには人間の妄想や驕り高ぶりは微塵もありません。ですから私たちはただただ、それを信じて念仏申すばかりです。

固定リンク | 2017年10月01日【294】

9月16日〜自分の大切なこととして…

 大きな台風が九州に向かっています。災害が起きないことを切に願います。

 さて昨日、ご門徒のFさんがお寺に来られました。Fさんは、近々お嬢さんをお嫁さんとして見送らねばならないお母さんです。

 いろいろとお話をする中で、「先日、『覺照寺だより』に書いてあった『念仏行者の詩に学ぶ』というお話を、娘と繰り返し繰り返し読ませていただいて、大切なことだとつくづく思いました」と、話されました。

 そのお話とは、長野県より一人の若い女性が広島県の紡績工場に勤めるために集団就職列車で出向き、広島の町でお寺に参るご縁を得て、お寺参りを重ねるうちにお見合いの話をいただき、やがて結婚することになりました。

 そして、お嫁さんとなったその若い女性が、嫁ぎ先の姑さんから頂いた詩が「念仏行者のたしなみ」という詩です。

 お念仏をいただくものはまず慎みが第一です。心の底に煩悩を抱えた人間は、縁がもよおせばどのようなことを考え、どのようなことを言うかわからない恐ろしい存在。悲しい傷つけ合いや争いはまず口から始まります。自らの愚痴、不平、不満、暴言、失言が他人を傷つけ苦しませ、果てはそれは自分に返ってきます。

 南無阿弥陀仏のお念仏をお称えする念仏者の口であるからこそ、その点を十分に注意して日暮らしをしましょう。

 おおよそこのような内容が詠ってあるのですが、息子さんにお嫁さんを迎えた姑でもあり、この度娘をお嫁さんとして送り出すお母さんであるFさんは、「家に来たお嫁さんとも仲良く生活したい。お嫁に行く娘も先方のご家族と仲良く生活してほしい。そのご縁を大切にするための指針となるお話ですね」とおっしゃいました。

 仏さまの教えは、他人事として聞いてはいつまでもわが心に届きはしません。

 自分の人生のこと、自分のいのちに関わる大切なこととして、聞いたときにそのはたらきが心に届きます。そのことをFさんは教えてくださいました。

固定リンク | 2017年09月16日【293】

9月1日〜宗教は違えども感謝の心を…

 朝夕は少しずつ涼しくなり、次第に秋めいて参ります。

 秋は野菜や果物、お魚がたくさん捕れる実りの季節ということから、食欲の秋とも言われますが、お寺のこども園や幼稚園には、「食事の言葉」があります。

 「多くのいのちとみなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます」。また食事の最後には、「尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。おかげでごちそうさまでした」。

 子どもたちや先生方は毎日、お食事を頂くときには合掌し、多くのいのちと、食事ができるまでにご苦労いただいた多くの方々へ感謝をしつつ、この言葉をお唱えしてから頂きます。

 ただ頭で思うだけでなく、感謝の気持ちを合掌という姿で表し、実際に口でお唱えするという習慣はとても大切なことです。

 数年前、お寺の仏教婦人会会員の娘さんが、短期間のホームステイでアメリカに行かれました。

 アメリカの一家庭に日本人三名ずつでお世話になったのですが、行ったその日に、そのお宅の家族全員で歓迎会をしてくださいました。

 テーブルに皆が座り、いよいよ食事をというときに、そのお宅のお母さんが神さまへの感謝の言葉を述べられたそうです。

 当然英語ですので何を言われているのかわかりませんでしたが、その仏教婦人会会員のお嬢さんは、わが家でも毎日「食事の言葉」を言っていましたので、宗教こそ違えども感謝の心には変わりないと、一緒に合掌して感謝したそうです。

 あとの二人のお嬢さんは、ご家庭でそういう習慣がなかったのでしょう。その神聖な場の意味がわからず、思わず吹き出してしまい、後からそのお宅のお母さんから注意を受けたそうです。

 宗教は違えども、今日私が頂くいのちに感謝し、そのために働いてくださった多くの方々のご苦労に真摯に感謝することは、一人の人間として忘れてはならないことでありましょう。

固定リンク | 2017年09月01日【292】

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