こころの電話

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7月1日〜ハンドルとブレーキ

 日々、慌ただしく過ごしていましたら、六月十六日のテレホン法話の変更をすっかり失念していました。申し訳ありません。

 さて昨今、高齢者の運転による痛ましい事故が立て続けに起こりました。

 道路を一直線に走り、ブレーキをかけることもなく人をはねて建物に突っ込む様子がテレビで報道されましたが、死傷された方々へのお見舞いの思いとともに、大変心が痛みました。

 誰も、あのような事故を起こすと思って運転する高齢者はいないでしょう。

 いざという時にとっさの運転操作ができなくなるのか、あるいは意識を失ったりするのか、いずれにせよ、高齢になると自分では意識しないうちに、瞬間的に間違わずにブレーキをかけ、ハンドル操作できなくなる状態になるのでありましょう。

 自動車同様、人間の心にもハンドルとブレーキが必要で、宗教はそのはたらきをするものでありましょう。自動車と同じように、私たちの人生もそれぞれ前に進まねばなりません。止まっているだけならエンジンもタイヤも、動くためのエネルギーも必要ありません。

 正しい目的地に迷うことなく、ルールを守って、安全にたどり着くためにハンドルがあり、ブレーキがあり、それを適切に操作するドライバーが必要なのです。

 私たちの人生はどうでしょうか。誤った方向へハンドルを切っている人はいないでしょうか。ブレーキをかけて止まる必要があるのに、一直線にアクセルを踏み込んでいる人はいないでしょうか。

 他人事でなく、自分のこととして、その生き方を教えに聞いていく、問い尋ねていくことが、宗教では大切なことであります。

 そして、その対象には年齢は関係ありません。幼い子どもや血気盛んな若者、そしてお年寄りまで、すべての人が講習者となるべきものです。

固定リンク | 2019年07月01日【337】

6月1日〜なるべく早いうちに…

 梅雨に入りました。もうしばらくすると田んぼが青くいきいきとした表情を見せてくれることでしょう。

 さて、先日ご法事に行ったお宅で、親戚の男性が過去帳を指さして、「この戒名は何と読むのですか」と質問をされました。

 その問いに対し私は、「これは戒名ではなく法名ですよ」と添えた上で、読み方を説明すると、男性は「私はこれまで、戒名も法名も同じと思っていました」と述べられました。

 戒名も法名も仏弟子がいただく名前としては同じなのですが、違いがあります。

 戒名とは、仏教において指導者である戒師から戒律を授けられ、仏門に入った証であり、戒律を守るしるしとして与えられる名前のことです。

 戒律とは、仏道修行を行う上で守るべき事柄を定めた規律のことで、浄土真宗の信者にはその戒律はありませんから、法名と言います。

 法名の「法」とは、仏さまの教えのことで、法名とは仏さまと、その教えと、その教えを信仰する尊き人々に帰依し、仏法を人生のよりどころとして生きる仏教徒がいただく名前です。

 戒名も法名も、仏教徒としての自覚をもって生きる証としての名前でありますから、基本的には生前にいただくことが大切です。

 浄土真宗本願寺派の場合、京都の本山本願寺に参り、帰敬式(御髪剃、おこぞり)を受け、ご門主様よりいただきます。

 人間がそれぞれの人生を歩んで行くには様々なことがあります。楽しいこと嬉しいことばかりであれば良いのですが、悲しいこと辛いこともすくなくはありません。 また思いがけなく壁が立ちはだかったり、深い谷に落ちることさえあります。

 仏さまの教えは、その人生にどのようなことがあっても、正しい道を示し私たちを支えてくださるもので、法名はそのためにいただくのです。

 なるべく早くいただいて仏法を人生の拠り所としましょう。

固定リンク | 2019年06月05日【336】

5月16日〜願いとはたらきこめられた名前

 忍び音とはホトトギスの初音のこと。姿を見せずにかすかに聞こえてくるので忍び音と呼ばれるようになりました。

 さて、自分のものではあるけれど、自分の周囲の人がよく使うものに、「名前」があります。

 手紙や書類に自分の名前を書いたり、名刺や自己紹介で使いますが、学校や職場、病院や銀行などで名前を呼ばれたり、使ってもらうことが多いものです。

 またこの名前には、それぞれ親の願いがこめられています。最近はキラキラネームというものもあって、一見して読めないものもあるのですが、いずれにせよ、かわいいわが子が、幸せにこの人生を生きていってほしいという親の願いが表されています。

 私たちがお称えする「南無阿弥陀仏」も名号といって、阿弥陀如来そのものであり、名のりです。親鸞さまは、この名号をいただくことで私たちの救いが定まることを教えてくださいました。なぜならば、この六字の名号の中に、阿弥陀如来が私を救わんとする願いとはたらきがこめられているからです。

 病院や薬局で求めた薬を飲むときに、この薬はどこの誰が、どこで、どのような経緯で作って、どのような成分が入っていてと、調べて飲む人は、おおよそいません。

 きっと、誰もが自分の病状に応じて処方されたものを安心して服用するはずです。それと一緒で、南無阿弥陀仏の名号一つをただいただくところに、そのはたらきが私の上に届いてくださるのです。

 ただ時折、病院や薬局では、その薬の成分や効き目を教えていただくことも大切でしょう。それをたとえるとお聴聞ということになります。

 なぜ南無阿弥陀仏の名号一つで救われるのか。どのようにして名号は成り立ち、今の今、私の上に休むことなくはたらいてくださっているのか。そのおいわれを聞かせていただくのがご法話をお聴聞することであります。

固定リンク | 2019年05月18日【335】

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