こころの電話

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3月1日~その時になってみないとわからんです。

 先週の雨と暖気で、庭の岩ツツジが一斉に開花し始めました。

 さて、テレビでは毎日のように政治とお金の問題が報道されていますが、人間はお金が絡むと正しい判断ができなくなる生き物のようです。

 昔、僧侶の先輩から伺ったお話です。

 ある小学校一年生のクラスで、先生が道徳の授業で生徒たちにこう問いかけました。

 今日、学校からの帰り道、道路に一万円が落ちていました。皆さんならどうしますか。

 すぐにある男子生徒は手を挙げて答えました。「先生、そんなことはアタリマエのことだ。すぐに警察に届けるだけです」。

 今度は女子生徒が答えました。「先生、一人で警察に届けるのは心細いので、いったん家に持ちかえって、お父さんと一緒に届けたいと思います」。

 みんな口々に、「交番に、警察に届ける」と答えました。素晴らしい生徒たちばかりです。

 先生がふと教室内を見わたすと、いつも授業で元気に答える男子生徒のA君が今日に限って手を挙げていないことに気づき、少し心配になって、「A君、君は今日は答えてないけど君ならどうする」と、先生の方から問いかけました。

 すると、A君は少し戸惑いながら、「僕ですか、僕は、その時になってみないとわからんです」と答えたそうです。

 他人のお金を拾ったら警察に届けることが正しいことは頭では知っている。でも、その時に自分が本当にお金に困っていたら…、普段手にできないような大金だったら…、その時に、喉から手が出るくらいほしい品物があったら…。その時になってみないとわからない。その時の自分の状況、縁次第でどのようなことを思い、どのような行動を取るかわからない。

 A君の答えは、この私にも強く問いかける答えです。そして政治家の皆さんにも…。

3月1日~その時になってみないとわからんです。2024年03月02日【447】

2月16日~心が落ち着くな~、懐かしいな~

 お寺の庭にも、萌野さながらに、さまざまな草の芽が顔をのぞかせてきました。

 さて、昨年の暮れ、離郷門徒のUさんが帰省され、お寺にお参りに来てくださいました。

 本堂の仏前でお参りをされた後、一言、「あ~心が落ち着きますね。昔本堂の裏の押し入れにお仕置きで入れられるのが怖かったな~、でも懐かしい思い出です」とおっしゃいました。

 戦後、子どもが多かった時代、お寺で地域福祉の一環として子どもたちを預かり、それが後にお寺で運営する保育園として発展してきました。

 先生の言うことをなかなか聞かない子や友達に悪さをする子など、俗に言うきかん坊は、お寺の裏の薄暗い押し入れにお仕置きで入れられるのが常で、昭和三十年代までは、それがアタリマエのようにされていました。

 私自身もお寺に生まれた子ではありますが、ご多分に漏れず何回か入れられた思い出があります。

 当然、今の時代は許されませんし、虐待と言われる行為です。

 しかし、押し入れに入れられて叱られてそれで終わりではありませんでした。泣き顔で目が腫れた子どもに寄り添って、やさしくていねいにお話をしてくださる先生の姿がありました。

 きっと先生も、子どもが思うように言うことを聞いてくれない、先生としての技術不足に忸怩たる思いで、仏さまに頭をもたげながら、そうせざるを得なかったのかもしれません。

 お寺は、仏さまの教えを聞く聴聞の場です。仏さまの御心にふれる場です。そして、ご門徒方が愚痴も言えて、慰め合って、笑い合って、励まし合う場です。また心が安らぐ場でもあります。

 Uさんのように、「懐かしいな~、心が落ち着くな~」とおっしゃるご門徒が一人でも増えるように努めたいと思います。

2月16日~心が落ち着くな~、懐かしいな~2024年02月18日【446】

2月1日~驚きあわてねばならないときは…

 新たな年が明けてはや一月が経ちました。

 一月が早く過ぎてしまうことをよく、「一月は一気に…」と言われますが、能登半島地震によって被災された方々は、「あの時から時が止まったままだ」とテレビでおっしゃっていました。厳しい現実のただ中で過ごしておられることに、胸が痛みます。

 浄土真宗で敬う七人の高僧のお一人、中国の善導大師の書物に『往生礼讃』があります。

お念仏をいただく行者に、一日に六回、四時間おきに阿弥陀仏を讃える文を称えて礼拝することを勧められたもので、本願寺の歴史においても、蓮如上人が正信偈を制定されるまでは、毎日のお勤めはこの礼讃でした。

 その中に無常偈といわれる大変有名な偈文があります。

 人間は、毎日忙しい忙しいとあわただしく目の前の仕事や生活に追われて、あっという間に月日が過ぎ去っていくことに気がついていない。

 自らの命が風の中にあるローソクの火のように、いつ消えるかわからないのに、せわしく落ち着くこともなく、無常の中でうろうろと漂いながら日暮らしをしている。

 そのような状態にありながら、頼りとならぬものを頼りとし、あてにならぬものをひたすら求めて日々を過ごし、苦しみの世界から抜け出すことができずにいるのに、どうして安穏として落ち着いておれるのであろうか。驚きあわてねばならないときはとっくに来ている。

 皆一人ひとり、よく聞くがよい。自分で聞き、学び、行動できるうちに、一日も早くさとりの道、お浄土への道を問いたずねなさい。大切なのは今、今、今ですよ。

 無常という厳しい現実を知らされた一月でした。被災地への支援をさせていただきつつ、無常偈のお言葉を深く味わいたいと思います。

2月1日~驚きあわてねばならないときは…2024年02月02日【445】

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