こころの電話

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4月1日〜大切なお育てをいただく

 お彼岸はとっくに過ぎたというのに、今年はなかなか暖かくなりません。

 さて、浄土真宗のご法事は追善供養ではないと言われます。

 追善供養とは、私が亡くなった方の冥福を祈ったり、亡くなった方のために修行や功徳を積んだりすることで、浄土真宗のご法事にその必要がないのは、ご本尊である阿弥陀如来が一切の生きとし生けるものをもらさず必ず救うという、まこと真実の願いにすべてをお任せするからです。

 また、阿弥陀如来のまことの光に照らされた私たち人間の姿は、常に愚痴や不平不満に満ちていて、怒りや腹立ち、妬みや嫉みの心が絶え間なく湧き出ていて、そのような自分さえも全うにコントロールできない私が、実は、亡くなられた方のために役立つことなど到底出来ないことを知らされるからです。

 浄土真宗は、阿弥陀如来の願いに照らされた自らの姿を、誰よりも厳しく見つめられた親鸞さまの導きによりますので、その信仰の有り様には寸分の人間の思い上がりも甘えもありません。

 しかし、亡くなられた方への思いも決して忘れてはなりませんし、生前にご縁をいただいた方へ感謝の思いで何かしてあげたい、何かしなければと思う心も、人間として自然なことでありましょう。

 そこには、手を合わせて亡き方を心から偲ぶ姿があります。故人が好きだった食べ物や飲み物を求めて供える姿もあります。お花やお香を求めてお供えする姿もあります。その一つ一つの思いや行為も、亡き方を偲び感謝する人としての尊き姿であります。

 ただ一つここで大切ことは、その感謝の思いと行為一つ一つまでもが、実は亡き方のはたらきによるもので、その仏さまのはたらきによって、私が人として忘れてはならない大切なお育てを、既に今いただいていることです。

 亡き方を偲ぶ心、感謝の思いを通して、私たち一人ひとりにはたらいている阿弥陀如来の願いを聞かせていただくご縁につながれば、ご法事はさらにすばらしいものとなりましょう。

固定リンク | 2017年04月01日【282】

3月16日〜あなたの左手の存在とは…

 境内の岩ツツジのつぼみが開き、春の兆しが見え始めました。

 さて先日、知人の結婚披露宴に参りました。

 これから新たな人生を歩み始める若い二人の門出を皆でお祝いしましたが、いつもの通り、披露宴の最後に新郎のお父様が挨拶をされました。

 長年クリーニング店を営んでおられるお父様は、出席者全員に謝意を述べた後、
「クリーニングの仕事は、右手でアイロンをかけますが、その右手の行く先には必ず左手があります。左手が右手の行く先の布を正しく伸ばし待たなければ、きれいに洋服のシワを伸ばすことは出来ません。私は夫婦の生活も同様のことが言えるのではないかと思います」と言葉少なに、しかし自信を持って述べられました。

 クリーニングのお仕事は、お客さまから託された服を一つ一つ丁寧に仕上げていく、どちらかというとコツコツと、地道で寡黙なお仕事かもしれません。

 しかしお父様にとって、長年続けてこられたお仕事の中で感じられた夫婦観が、その右手と左手の関係だったのでしょう。

 あうんの呼吸と言いましょうか、多くは語らずとも必ず支え合う関係、自分の人生になくてはならない存在、あるいは一つの物事を達成するためになくてはならない存在。その存在の大切さと関係性を、日々のアイロンを持つ右手とその行く先で待つ左手の関係に見られたのです。

 そのご挨拶を拝聴して、私はあらためて自分にとっての左手の存在を顧みることでした。

 それは家庭における伴侶のことだけでなく、お仕事をはじめ様々な場面で左手となる人の存在があります。

 その人は当たり前のようにいてはくださいますが、決して当たり前ではない存在です。

 あなたにとって左手の存在とはどなたでしょう。あらためて顧みるときに感謝の思いもまた、生まれてまいります。

固定リンク | 2017年03月16日【281】

3月1日〜忙しい時期だからこそ

 朝夕はまだ冷たいのですが、日中は少しずつ春めいてきました。

 さて、いよいよ年度末に入り、何かと忙しい時期になりました。

 「忙しいという字は、心が亡びると書くので気をつけましょう」と、よく言われるのですが、人は心が失われていくと、それが様々な場面で表に出てしまう動物なのでそう言われるのでありましょう。

 言葉、言動も、普段から周囲の人には正しい言葉づかいで、丁寧にやさしくと思いながらも、人は忙しい環境になると、つい荒々しく早口になってしまいますし、自分の思い通りにいかないことがあると、愚痴や不平不満が次々に出てきます。

 行動も同じようなことが言えます。周囲の人にはやさしく笑顔で接することが大切なのはわかっているつもりなのですが、忙しくなるとつい怒りっぽくなり、眉間にしわを寄せて、丁寧に接することが出来なくなってしまいます。

 心が亡びるとは、自分のことばかりにとらわれて、周囲の方々に対する自らの有り様を、顧みるはたらきが失われたことを言うのかもしれません。

 そのような私たちのために、先人方は、朝夕のお仏壇へのお参りを勧めてくださいました。

 朝起きて朝食の前に、お仏壇の前で合掌し、心を落ち着かせてお念仏をお称(とな)えしましょう。夕食前に、今日一日の自らの言動や行動をふり返るとともに、皆さまのお陰で一日を過ごさせていただいたことに感謝し、お念仏をお称えしましょう。

 お念仏が口から出ている間は愚(ぐ)痴(ち)も悪口も出ることはありません。また仏前で合わさった心と手は、周囲の人に辛く当たったり傷つけることはありません。

 忙しい一日の中で、少しの間ではありますが、とても貴重な時間を過ごさせていただくことができます。

 普段からのお参りはもちろんのことですが、忙しい時期だからこそ、特に大切にしたい時間であります。

固定リンク | 2017年03月03日【280】

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