こころの電話

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8月1日〜故郷にカエル、ご先祖がカエル

 「今年の夏の暑さは異常ですね」。人が会うたびに、このような言葉が飛び交います。

 さて先日、お寺の土曜学校があり、その場で子どもたちに、「もうすぐお盆が近づいてきますが、お盆とは何をする日ですか?」と問いかけました。

 すると子どもたちから、「遠いところに住んでいる親戚が故郷に帰ってくる日」、「ご先祖が帰ってくる日」、「お墓をお掃除に行く日」といった声が返ってきました。

 最近は、お盆には海外に旅行に行く人も多く外へ外へという時代ですので、幼い子どもたちから「故郷に帰る」、「ご先祖が帰る」、「お墓を掃除する」という声が聞けたときには、ほのぼのとしてほっとした気持ちになりました。

 この、人が故郷にカエル、ご先祖がカエルという場合は、帰宅する、帰郷するというときに使う「帰る」という字を使いますが、浄土真宗のみ教えで示されるカエルは、元に戻るという意味の還元、あるいは還暦の「還る」という字を使い、正式には還相回向といいます。

 そのことを、「浄土真宗の教章」の中で、お念仏をいただく者は、「この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する」と示されています。

 つまり、亡くなられたご先祖は必ずお浄土に生まれて仏さまとなり、そこで安住するのではなく、後に残る私たちを真実まことの世界に導くために、お浄土から常に還って、はたらいていてくださるということです。

 有り難いのはお盆だけでなく、仏さまはいつでも、どこでも、誰にでも、ご縁あるところに常に還ってきて、はたらいていてくださるということです。

 お盆は、お仏壇やお墓をきれいに掃除して、御恩報謝の思いでお念仏を申し、ご家族でそのことを再確認する場でありましょう。

固定リンク | 2017年08月01日【290】

7月16日〜事あるごとに「有り難う」を

 いよいよ本格的な夏がやってきました。

 さて、先日テレビで、中年夫婦の家庭での関係性を良好に保つための、言葉かけテクニックなるものが放送されていました。

 思想家の亀井勝一郎さんは、「恋愛は美しき騙し合いに始まり、結婚は惨憺たる理解に終わる」と言いましたが、お互いに一つ屋根の下で年数を重ね、すべてがお見通しの夫婦の関係性を保つことは難しいものかもしれません。

 視聴者の質問に対し男性のコンサルタントが答えていましたが、そのコンサルタントの最後のアドバイスは、日常生活の中で一番大切なことは、お互いに事あるごとに、「有り難う」を言うことでした。

 自分自身をふり返れば、家庭では食事を作ってもらうことも、洗濯してもらうことも、裁縫をしてもらうことも当たり前で、あまり言っていないかもしれません。

 「有り難う」とは「有ることが難しい」ということで、「滅多にないこと」を意味し、元来、仏さまや神さまの功徳や恵みに対する賞賛や感謝の言葉として使われていました。

 また、「おかげさま」という言葉も、仏さまや神さまの恵みやご加護に対する感謝の言葉で、「有り難う」と同様に時代と共に、人間に対しても使われるようになりました。

 ある調査によると、人から言われて嬉しい言葉の一位が「有り難う」で、半数以上の人がそう答えたそうです。

 もともと仏さまや神さまに対して使われていた言葉ですから、言葉自体に人と人の関係をよりよく保つ不思議な力があるのかもしれません。

 たとえ夫婦生活が惨憺たる理解に終わろうとも、日々の生活の中で「有り難う」の感謝の気持ちは失いたくないもので、もしかしたらそれを繰り返すうちに、また新たな夫婦の理解が生まれてくるかもしれません。

固定リンク | 2017年07月16日【289】

7月1日〜繰り返し明けても暮れても…

 長く降り続いた雨もようやく止みました。

 さて先日、テレビで元水泳選手の松田丈志さんの現役時代をふり返る番組がありました。

 松田さんといえば、宮崎県延岡市の出身で、ビニールハウスのプールで久世コーチの指導のもと、オリンピックで銅メダルを獲得したことで有名です。

 番組の中で松田さんは、『現役時代、久世コーチは私に、「勝っておごらず 負けてくさらず」「自分に勝て そして他人に勝て」、この言葉をホントに念仏のように言っていました』と話をされていました。

 その番組を見ながら、松田さんの栄光の影には、久世コーチの弛まない指導があったことをあらためて知ると共に、松田さんが「念仏のように」と言われたのは、繰り返し繰り返し、明けても暮れてもということで、あえてこのような表現をされたのは、若い松田さんの心の中に、念仏とは繰り返し繰り返しと言うものというイメージがあることを感じました。

 そして、昔出会った宮崎のお医者様から、「私の病院にはお年寄りがたくさん来られますが、ロビーで待つそのお年寄り方を見ていると、ナマンダブ、ナマンダブと繰り返し称えておられます。意味もなく訳もなく称えるはずがない。どうしてでしょうか」と聞かれたことを思い出しました。

 これがまさしく松田さんが言う「念仏のように」という姿でありましょう。

 私はそのお医者様の問いに対して、「きっと人間が体のためにお薬を飲むのといっしょで、そのお年寄り方はお念仏という心のお薬を少しずつ少しずつ、繰り返し繰り返し、仏さまからいただいておられるのでしょう」とお答えしました。

 そのことを本願寺のご門主様は、「私たちは阿弥陀如来のご本願を聞かせていただくことで、自分本位にしか生きられない無明の存在であることに気づかされ、できる限り身を慎み、言葉を慎んで、少しずつでも煩悩を克服する生き方へとつくり変えられていくのです」とご法話の中でお述べになっておられます。

固定リンク | 2017年07月01日【288】

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