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4月16日〜素直になれない自分へ

 「春の日は暮れそうで暮れぬ」そんな春の日が続きます。

 さて先日、車を運手中、横断歩道に小学3・4年生くらいの女の子二人が立っていたので、その手前で止まりました。

 その小学生たちは、私の目の前を横断して、渡り終えた後に振り返り、私に向かって二人そろって頭を下げてくれました。

 その姿に私はとてもすがすがしい気持ちになりました。車を運転される方なら、誰しも経験のあることではないでしょうか。

 そして、そのようなときともすると、自分はちょっぴりよいことをしたような錯覚を起こすことがあります。

 しかし、横断歩道で人が待っているときに、車が停止するのは当然のことです。まして子どもやお年寄りが安全に歩行できることを最優先するのはなおさらです。

 運転手にとってごく当然のことをしただけなのに、子どもたちはそのことに対してわざわざお礼をしてくれたわけです。

 きっと、学校や家庭で、先生や保護者から、「横断歩道で車が止まってくれたらお礼をしましょう」といった指導があるのでしょうが、すばらしいのは子どもたちがそれを素直に聞き、素直に実行している、子どもたちのその素直さだと思います。

 これが私も含め大人ならどうでしょう。「歩行者優先は交通法規でアタリマエ」とか、「車が横断歩道で止まるのは当然こと」とか、「当然のことに何でお礼をしなきゃいけないの」などと理屈を並べ、していただいたことに素直に頭が下がらないのではないでしょうか。

 大人になるにつれ、ほんのわずかな知識と経験を得たために、かえって心が狭くなり素直になれない自分がそこにあるのかもしれません。

 横断歩道で子どもたちにすばらしいプレゼントをいただきました。 このすがすがしい気持ちを誰に伝えましょうか。どこに届けましょうか。さわやかな春の道であります。

固定リンク | 2021年04月16日【378】

4月1日〜一期一会で I Love You!

 うららかな花日和が続いていますがコロナ禍です。みんな集ってのお花見は禁物です。

 さて、新年度を迎え一人ひとりの新しいスタートです。また新たな出会いもあることでしょう。

 その出会いを大切にする意味で使われる言葉に「一期一会」があります。

 よく初めての人との出会いの場で、「この出会いは一期一会ですね」と使われがちですが、もっと深い意味がありそうです。

 一期一会の一期とは、自分が生まれてから死ぬまでの間のことです。一会とは一度限りという意味です。ですからこの言葉は、初めての人との出会いということだけでなく、自分が生まれてから死ぬまでの間で一度きりの出会いという意味で、同じ人であっても、何回であっても、その時の出会いは一度きりという意味です。

 この言葉の裏には、お経に示される「生死一如」という教えがあるように思います。

 生死一如の生死とは、自分が今生きているという事実と自分が死ぬという事実です。一如とは一体ということで、私が今生きているということと、私が死ぬということは、薄い薄い紙一枚の表と裏にしかなく、そよ風が吹いてその紙がハラリと裏返れば、私の死はただ今そこにあるという厳しい事実です。

 その私の命の厳しい事実を心底に踏まえてこそ、この度の一期の出会いは一度きり、すべての出会いにおいて、その時しかない限りなく大切な出会いであることが味わえるのでありましょう。

 先日、お寺の本堂で参拝されたご門徒方にこのお話をしましたら、後からある高齢の男性が私に近づいてきておっしゃいました。

 「住職さん、一期一会のお話、本当にその心がわかっていたら、夫婦げんかなどしませんねぇ」

 私はそれに応えていいました。「一期一会の心で、奥様に毎日、アイ・ラブ・ユーですよ」と…。

固定リンク | 2021年04月01日【377】

3月16日〜見つかるか見つからないか…

 うららかな春を謳歌できる季節となりました。

 さて、「そんかとくか人間のものさし うそかまことか仏様のものさし」とは、有名な詩人・相田みつおさんの言葉です。この言葉には、どのような意味があるのでしょうか。

 お寺のこども園で、昔このようなことがありました。

 年長児さんのA君は、ある日家族でドライブに出かけました。運転はお父さん、助手席にお母さん、後部席にA君と小学2年生のお姉さん。久しぶりのドライブで4人は車中で歌を歌ったり、しりとりをしたり、なぞなぞをしたりとても楽しいドライブでした。

 突然お母さんが、「お父さん赤信号、危ない、ブレーキ」と叫びました。お父さんが、楽しい話に夢中になりよそ見をして信号に気づかなかったのです。慌てて急ブレーキを踏みましたが間に合わず、車は赤信号の交差点の中へ突っ込みました。

 幸い横から車が来なかったため事故にはならずにすみました。その途端です。お父さんは通り過ぎた交差点の周囲を見回して、「よかったお母さん、警察がいなかった。危うく捕まるところだった」とお母さんに言いました。それに応えてお母さんは「ほんと、見つからなくてよかった。罰金取られたらばかみたいだしね」とお父さんに言いました。

 その時です。後部席に座っていたA君が体を前へ乗り出して言いました。「お父さん、お母さん、おまわりさんは見てないかもしれないけど、仏さまはいつも僕たちを見ているんだよ」…。

 その言葉を聞いて、ご両親は胸を突かれた思いだったそうです。「子どもを育てる親という存在でありながら、私たちは『見つかるか見つからないか、損をするか得をするか』という狭い心で物事を考えていた。息子は仏さまの広いまなざしの中で、私たちの姿を見つめていました。いや、参りました」と、後日お父様が園に来られてその出来事を報告されました。

 日常の生活の中にあっては、私たちはつい、物事を損か得かの物差しではかりがちですが、そのような一人ひとりの姿を、仏さまは慈しみのまことのまなざしで、いつも見守ってくださっていることを忘れてはなりませんね。

固定リンク | 2021年03月16日【376】

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