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9月1日〜人生のよき目標を…

 虫すだく季節。朝夕、虫聞きをしながら過ごすと心が和みます。

 さて、九月はお彼岸の法要が勤まりますが、彼岸とは、ご先祖が往きお生まれになったお浄土のこと。暑からず寒からずのこの時期に、日頃の忙しい手を少し休めてご先祖を偲ぶとともに、自分自身がそのお浄土へ至る道を訪ねていく行事です。お浄土へ至る道とは、その生き方を問い訪ねていくと言い換えてもいいでしょう。

 時折、普段まったくお寺にお参りされない人の中に、人は死んだら仏さんの世界に行くという人がおられます。でも、普段の生活の中で、まったくお寺やその教えに関わりを持とうとされない方が、死んだらどのようにして仏さまの世界に生まれることができるのでしょうか。

 人の生き方は様々ですが、やはり敬うべき姿はよき目標を持った生き方でありましょう。お仕事でも、勉強でも、スポーツでも、趣味でも、よき目標を持ち、それに向かってこつこつと弛まない努力を積み重ねることで、その目標に近づいていくのでありましょう。

 確かな目標を持つこともなく、わずかな学びや努力さえすることもなく、自由気ままに過ごして、いよいよと言うときにすばらしい結果がもたらされたという話は聞いたことがありません。

 やはり、自分の人生の最後の目標としてお浄土の世界を日々問い訪ね、その教えに学び、心の糧として人生を歩んでいく人がお浄土に往き生まれるのでありましょう。  

 かといって、私たちは厳しい行を勤める修行者ではありませんので、時には怠けたり、ふらついたり、諦めの気持ちが湧くこともあるかもしれません。

 でも、皆それぞれ今日も帰る家があるように、自分の最後の帰る家として、お浄土を心に持つ人は必ず往生することができるのです。

 その確かさは、阿弥陀如来がご本願として誓っておられます。

固定リンク | 2019年09月06日【341】

8月16日〜今生きる私のために…

 今年の夏は、猛暑と台風到来の繰り返し。涼しい秋風が恋しい季節です。

 さて、お寺や仏教というと、すぐにお葬式やご法事が思いついて、死にまつわるところというイメージを持つ方も少なくはないのですが、その教えを聞きていくと、決してそうではないことがわかります。

 例えば、仏教で人間が生前の悪業の結果として堕ちると説かれる地獄、餓鬼、畜生という世界も、ただその結果を、絵空事のように説いているわけではありません。

 地獄とは、悪いことをすべて人や物に責任を転嫁してまったく気にしない亡者と、自分のことは棚に上げて他人の失敗や欠点を激しく責め立てる鬼が同居し合い争い苦しむ世界。

 餓鬼とは、欲しいものがあると見境なくすぐに自分のものにしようとして、周囲のものに分け与えることをしないものが堕ちて、飢えと渇きの責めを負う世界。

 畜生とは、多くのいのちに支えられ生かされていることを忘れ、自分自身の言動や行動を恥じることを知らないものが堕ちていく世界だそうです。

 その内容をよく聞くと、単に先の世のことを言っているのではなく、今、自分自身の心の中にある煩悩について細かく説かれていることが分かりますし、それを戒めていることが分かります。

 問題なのは、人間という生き物は、普段はそのような邪念がないように思うのですが、縁がもよおせば、怒りや腹立ち、妬みや嫉みなど、自らの心中にどのような心がわいてくるか分からない怖さを持っているということです。

 そのような人間に対し、仏教はその心の有り様を問い、正しい道へと導く教えであります。

 火の車 つくる巧みはなけれども 己が作りて己が乗りゆく

 地獄や餓鬼や畜生の世界は、向こうにあるのではなく、私のつくりつくる世界です。

 ですから、その仏さまの教えは常々重ねて聞くことが大切なのです。

固定リンク | 2019年08月16日【340】

8月1日〜喜びの法要となるように…

 毎日、うだるような暑さが続いています。

 さて八月にはお盆の法要が勤まり、今年、初盆をお迎えになる家庭にあっては、特に丁寧にお勤めされることでありましょう。

 このお盆の行事は、『仏説盂蘭盆経』というお経に記された故事に基づくものです。

 お釈迦様のお弟子の目連尊者が、今は亡きお母さんの行く末を、修行で体得した先の世を見通す力で探したところ、お母さんは餓鬼の世界で飢えて苦しんでおられました。

 目連尊者はお母さんを救おうとするのですが、自分の力ではどうすることもできません。

 困り果てた目連尊者は、祇園精舎のお釈迦さまに救いを求め、お釈迦さまは母を救う手立てとして、お坊さん方が夏の修行を終える七月十五日に施しをすることを諭され、その功徳によってお母さんは、餓鬼の世界から救われたというものです。

 この故事によって、お盆は、亡くなられた方をご供養する行事だと教えるお寺もあるのですが、浄土真宗ではその受け止め方が異なります。

 浄土真宗においても、お盆には今は亡き方を偲び感謝の思いでお参りをするのですが、一方ではこのお盆の法要ことを喜びをもってお勤めする「歓喜会」と呼んでいます。

 その喜びとは、お念仏をいただくものは、阿弥陀如来の願いによってわけへだてなく救われるお約束をいただいているのですから、それを喜び感謝する法要であること。

また、目連尊者の施しによってお母さんが救われた日は、修行僧方が修行を成就した喜びの日であることから、喜びの法要とするのです。

 とは言えども、初盆に、今生でお別れした方を偲ぶことは淋しいことでもあります。仏前で静かにお念仏を申し、生前のご縁に感謝し、今に残る私自身も阿弥陀さまにともに救われていく身であることを喜ぶ法要となることを願います。

固定リンク | 2019年08月02日【339】

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