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7月15日~日本人独特の美しさとは…

 冷たく冷やしたスイカがおいしい季節になりました。

 さて、先般、落語家の露の新治さんから一冊の本をお送り頂きました。それは、大阪の相愛大学での講演をまとめたもので、その中に、アレン・ネルソンさんという方の講演録がありました。

 ネルソンさんは、一九四七年ニューヨーク生まれで、海兵隊に入隊しベトナム戦争に参加、除隊後戦争後遺症に苦しみ、それを乗り越えて後、世界各国で講演をされている方で、特に憲法九条の人類史的重要性を強調されています。

 講演録で驚くのは、ネルソンさんの生々しい戦争体験です。戦場では相手の頭や心臓を狙うのではなく、男性の股間の急所を狙い、多くの兵士たちが激痛の中で、泣き叫びのたうち回りながら死んでいく光景を幾たびも目にしたこと。ジャングルでは、相手が睡眠中、またはトイレ中、または食事中であろうが、見つけ次第射殺したこと。戦場での一番の被害者は女性と子どもとお年寄りで、ネルソンさんの軍もベトナムの村を次々に襲い、後にそのことが戦争後遺症で苦しむ原因になったことなど、戦争は、いかに非人間的なものかを話されています。

 その講演の最後にネルソンさんは、こう述べておられます。

 「日本の学校の生徒さんや学生さんを見ると、独特の美しさを見出します。それは何か、戦争を知らない人たちの顔だからです。戦争を知らないというのは具体的に言いますと、あなた方のお父さん、叔父さん、お兄さんを戦争に取られたことがないと言うことです。それこそが私の言う憲法第九条の持つ力なのです。皆さん方はこの第九条によって戦争の悲惨さから守られてきたのです」

 私たち日本人は、自分たちの本当の顔を知らないのかもしれません。ネルソンさんは、日本人の顔には独特の美しさがあると言われ、それは戦争を知らない美しさと言われています。

 私自身も含めて、子どもや孫たちが、その独特の美しさをいつまでも保つには何が大切か、そして、その日本ならではの美しさを世界に広げるにはどうしたらいいのか。夏休みに家族で語り合うのもよいのではないでしょうか。

7月15日~日本人独特の美しさとは…2008年07月16日【76】

7月1日~人間の、逃げ場のない事実

 梅雨空のすき間をぬって差す日の光は、既に夏色です。

 さて、先般、車の運転中に携帯電話が鳴りました。道路脇に車を止めて電話に出ると、友人から久しぶりの電話でした。

 「久しぶりだね。元気にしてた」と、問いかけようとしたのですが、どうも様子がおかしいのです。

 すると、彼は声を詰まらせながら、「母が、母が、突然亡くなりました」と、訃報の電話でした。

 彼のお母さまは、数年前よりご病気になり、自宅で家族の介護のもと療養されていましたが、この度、突然様態が悪くなり急逝されたとのことでした。

 あまりにもの突然の電話で、しかも悲痛な知らせに、私は言葉も出ず、彼の言葉に耳をかたむけるのが精いっぱいでした。

 「人、独り生まれ独り死し、独り去り独り来たる。身みづからこれを当くるに、代わるものあることなし」という言葉がお経にあります。

 人は、普段家族や知人と一緒に生活をしているようであるが、結局は独りで生まれ独りで死んでいかねばならない。その逃げ場のない事実は、誰とも代わることができない。それが人間の現実なのだということです。

 私は、彼の悲痛な言葉を耳にしながら、このお経の言葉は、お亡くなりになった方がその身をもって示される、人間の厳しい現実ですが、それと同時に、この世に残された方に迫る現実であることを教えられました。

 心から大切に思う人に先立たれ、この世に残された者の孤独。愛する人から先立たれ心の支えを失った者の孤独。「独り生まれ独り死し、独り去り独り来たる」という、この「独り」という言葉は、どうあがいても独りで去らねばならない、厳しい人間の現実とともに、この世に残された人間の、厳しい現実を表していることに気付かされます。

 私は、ただただお念仏を申し、このお経の言葉を深く味わうばかりでありました。

7月1日~人間の、逃げ場のない事実2008年06月30日【75】

6月15日~無条件で許される場所が…。

 庭の菩提樹の葉が、連日雨に打たれています。

 さて先般、東京の秋葉原で、大変悲惨な事件が起きました。歩行者天国に男がトラックで突っ込み、次々と通行人を襲いました。死者七人、負傷者十人という残忍極まる事件。にぎやかな秋葉原は一瞬にして地獄と化しました。

 犯人は二十五歳の青年。「誰でもよかった」と白昼の無差別殺人。彼の行為は日本中を震撼させました。

 その青年は逮捕後、「世の中がいやになった」と供述しましたが、ブログに自分の行動や気持ちを書き込んでいました。

『親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧。小学生なら顔以外の要素でモテたんだよね。俺の力じゃないけど』、『親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ』、『中学生になった頃には親の力が足りなくなって、捨てられた』。

 『どうしてみんなが俺を無視するのか真剣に考えてみる。不細工だから 終了』『なんで一人なんだろ 不細工だから 終了』、『友達ほしい でもできない なんでかな 不細工だから 終了』。

 彼が書き記したブログの一部ですが、これらから感じることは、屈折した一人の人間と、それを本当の意味で厳しく指導し、同時にあたたかく包み込む風景がないということです。

 彼は、「親から捨てられた」と明言し、自らを不細工といっていますが、これは、幼いとき甘えるべき親から認められなくなった失望感、無気力を示しているように思えます。そして、彼には本当に辛いとき苦しいとき、本来帰るべき慈しみあふれる場所がなかったように思えるのです。

 彼の身勝手で残虐な行為は厳しく問われるべきです。また、報道の一部だけを受けて無責任なことは述べられませんが、彼が本当に苦しいとき辛いときに帰る場所、彼を無条件で許してくれる場所がなかったのは事実のようです。

 子を持つ親として、その有り様を省みる必要があるようです。

6月15日~無条件で許される場所が…。2008年06月16日【74】

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