こころの電話

最近の記事

10月15日~これが何よりの頼み…。.

 秋空といえば鰯雲ですが、高度五㎞から十三㎞の空に、氷の結晶からできた魚のうろこのように見える雲のことです。

 さて、十月中旬、お寺に併設される幼稚園、保育園の職員研修旅行で、知覧の「平和特攻記念館」にまいりました。先の大戦で、特攻隊員として若い命を終えた一〇三五名の遺書や遺品等が展示されているところです。

 若い先生方と一緒に拝観し、あらためて「不戦の誓い」を確認し合いましたが、ここには、浄土真宗の信仰という意味からも大切なものが残されています。石川県のご出身で、二十二歳でお亡くなりになった石倉三郎大尉にお母さまから宛てられたお手紙です。

 「バクダンかかえて行く時は 必ず忘れまいぞ(ナムアミダブツ)ととなえてくれ。これが母の頼みである。これさえ忘れないでいてくれたら 母はこの世に心配事はない。忘れないで となえてくれ。この次会う時は、(アミダ様)で会おうではないか。これが何よりも母の頼みである。忘れてはならないぞ。母より」

 ここには、わが手から離れていく息子に対する親の深い願い、また浄土真宗のみ教えの要が記されています。

 いざというときは、ナムアミダブツと称えなさい。これが母の頼みと言われ、忘れるなとも言われます。人間いざというときは、お金も、地位も、名誉も、家族も、この母親でさえたよりにならないぞ、たよりになるのは阿弥陀さまが「まかせよ、必ず救う」と誓われたお念仏一つと、強く諭されます。

 そして、お母さまはこれで最後の別れとは言われません。この次阿弥陀さまのお浄土で会おうではないかと力強くおっしゃっています。お念仏を称える人は、また再びお浄土の世界で必ず会えるという阿弥陀さまの誓いに、確信を得た言葉です。

 最後にお母さまは重ねて、「これが何よりの頼み、忘れてはならないぞ」と力を振り絞って字を書かれています。

 私は、この手紙を拝見する度に、私にかけられた阿弥陀さまからの声に見えるのです、聞こえるのです。

10月15日~これが何よりの頼み…。.2008年10月18日【82】

10月15日~そんなあなたでいいのですか?

 連日雨模様です。めっきり肌寒くなりました。

 さて、先日より台風十三号、十五号と、似通ったコースをたどりつつありますが、町でご門徒方とお会いするたびに、その話になります。

 農業を営む方は、「せっかく育てた稲穂が倒れる被害が起きるので、絶対に来て欲しくない」とおっしゃいます。

 建設・土木をなりわいとされている方は、「仕事もめっきり少なくなった今日、台風がちょっとくらい来て、少々の被害でも出ないと仕事がない」とおっしゃいます。

 子どもたちは、「台風が来れば学校が臨時休校になるからうれしいな。早く来ないかな」と、口々に言います。私も幼いときに、同じようなことを口にしていた記憶があります。

 ご門徒や子どもたちだけではありません。幼稚園の園長を務める私も同様です。「台風が来れば、近々開催の運動会が運動場でできない。どこか長崎か四国にでも行ってくれればいいのに…」、そんなことを思い、また口にします。

 農業をされている方、建設・土木の関係者の方、子どもたちや幼稚園をお預かりする私も、それぞれの立場から、台風に対するそれぞれの思いを話します。特に、直接生活にかかわる方の切なる言葉は、本当にその通りだと思います。

 しかし、ここで少し考えたいのは、「こちらに来て欲しくない。どこかほかの地域へ行け」と思うことは、裏を返せば「自分さえ助かればいい」ということにつながります。

 また、「こちらに来て少々の被害があれば…」と思うことも、裏を返せば「自分さえ良ければいい」ということにつながります。

 私自身が、「自分の幼稚園の園児のために、台風がこちらへ来ないように」と思うことも、裏を返せば「他の地域の幼稚園や保育園の園児はどうなってもいい」と言っていることと同じです。

 人は、いざとなると、つい自分だけの立場や思いで、判断しがちになるものです。「同じいのちを持つものとして、そんなあなたでいいのですか?」と、いつも休まず問いかけて下さる方が仏さまなのです。

10月15日~そんなあなたでいいのですか?2008年09月30日【81】

9月15日~最後の最後まで…

 迷走台風がただ今九州をめざしているようです。防災の準備を整えましょう。

 さて、九月中旬、ご門徒のMさんが、お亡くなりになりました。Mさんは、覚照寺の仏教婦人会の役員を長年勤められ、お念仏の教えをよく聴聞され、そして有縁の方々にそれをお伝えになった方です。

 お葬儀の時、ご長男が、「母は、お寺にお参りするのが生きがいでした。いつもお寺での出来事を楽しそうに話してくれていました」と、話されましたが、まさにその通りの方でした。

 九月初旬に、入院されたことを聞き、早速仏教婦人会の役員の方々とお見舞いに行きました。大手術の後で、ベットの上で身動き一つできない姿で一生懸命呼吸をするお姿がありました。

 役員一人ひとりが励ましの声をかけ、私も耳元で、「Mさん、いつでもどこでも何があろうともナンマンダブツよ、お念仏よ」と話しかけましたが、Mさんは私の声に大きく頷いて、「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」とお念仏を申されました。Mさんの息が絶えたのは、それから約一週間後のことでした。

 お葬儀に際し、西本願寺の即如ご門主のご令室で、仏教婦人会総連盟の総裁である大谷範子様より弔辞が届きました。

 その中に、「宗祖親鸞聖人がお示しくださった浄土真宗は、阿弥陀如来さまのご本願のはたらきである南無阿弥陀仏をいただく身となって、お念仏を申す人生を歩み、この世の縁がつきるとき、お浄土で仏さまにならせていただくみ教えです。そして、先だって往かれた方々は、私どもが悲しみを乗り越えて生きることができるよう、常にはたらきかけてくださいます」とありました。

 Mさんのお姿は、まさしく南無阿弥陀仏をいただく人生でした。そして、最後の最後まで、お念仏を申す尊い姿を私たちに見せてくださいました。すばらしきご縁をいただいたことに、心から感謝したいと思います。

9月15日~最後の最後まで…2008年09月16日【80】

[1]    «    121  |  122  |  123  |  124  |  125    »    [150]

- 管理用 -

最近の記事

月別記事