6月15日~無条件で許される場所が…。
庭の菩提樹の葉が、連日雨に打たれています。
さて先般、東京の秋葉原で、大変悲惨な事件が起きました。歩行者天国に男がトラックで突っ込み、次々と通行人を襲いました。死者七人、負傷者十人という残忍極まる事件。にぎやかな秋葉原は一瞬にして地獄と化しました。
犯人は二十五歳の青年。「誰でもよかった」と白昼の無差別殺人。彼の行為は日本中を震撼させました。
その青年は逮捕後、「世の中がいやになった」と供述しましたが、ブログに自分の行動や気持ちを書き込んでいました。
『親が書いた作文で賞を取り、親が書いた絵で賞を取り、親に無理やり勉強させられてたから勉強は完璧。小学生なら顔以外の要素でモテたんだよね。俺の力じゃないけど』、『親が周りに自分の息子を自慢したいから、完璧に仕上げたわけだ』、『中学生になった頃には親の力が足りなくなって、捨てられた』。
『どうしてみんなが俺を無視するのか真剣に考えてみる。不細工だから 終了』『なんで一人なんだろ 不細工だから 終了』、『友達ほしい でもできない なんでかな 不細工だから 終了』。
彼が書き記したブログの一部ですが、これらから感じることは、屈折した一人の人間と、それを本当の意味で厳しく指導し、同時にあたたかく包み込む風景がないということです。
彼は、「親から捨てられた」と明言し、自らを不細工といっていますが、これは、幼いとき甘えるべき親から認められなくなった失望感、無気力を示しているように思えます。そして、彼には本当に辛いとき苦しいとき、本来帰るべき慈しみあふれる場所がなかったように思えるのです。
彼の身勝手で残虐な行為は厳しく問われるべきです。また、報道の一部だけを受けて無責任なことは述べられませんが、彼が本当に苦しいとき辛いときに帰る場所、彼を無条件で許してくれる場所がなかったのは事実のようです。
子を持つ親として、その有り様を省みる必要があるようです。
2008年06月16日【74】