こころの電話

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4月16日~ご門徒方の声に恥ずかしながら…

 小学二年生になる愚息が、南日本放送ラジオの第44回「わたしたちの作文」において、優秀賞をいただき、先般その放送がありました。ひとえに学校の先生のご指導によるものですが、ご門徒方から、「もう一度聞きたい」「高齢者はラジオが聴けなかった」等の有り難いご意見を多数いただきました。
 誠に恥ずかしい限りで恐縮ですが、ご紹介いたします。

「おとうさんはじゅうしょく」
曽於市立岩川小学校二年 ひらしま せいゆう

 ぼくのおとうさんは、じょう土しんしゅう西ほんがん寺のお寺のおぼうさんです。

 きょ年の四月二十八日と二十九日に、ぼくのお寺の「らっけいほうよう」がありました。今まで、おじいちゃんがじゅうしょくだったけど、この日からおとうさんにかわわりました。おとうさんは、口をきゅっとむすび、いつもよりえらい人のようでした。

 おとうさんのしごとは、朝七時ちょうどに、かねをたたきます。いつも時間ぴったしにたたくので、ぼくは、すごいなあと思います。

 つぎに、のうこつどうのドアをあけにいきます。たくさんの人がおまいりにくるので、早くからドアをあけておきます。

 それから、本どうにいって、朝のおまいりをします。せいざをして、大きな声でおきょうをいただきます。おとうさんの声は、いいこえです。太くて大きな声をきくと、だらだらしていたぼくも、びしっとせをのばします。ぼくもいつかおとうさんみたいに言えるといいなあと思います。

 朝のおまいりがおわると、おとうさんは、近くの公園に走りにいきます。ぼくも、ときどきいっしょに走ります。ぼくは、四しゅう走っただけでやめてしまうけど、おとうさんは十しゅうも走ります。
「どうして、たくさん走るの。」
と、ぼくがたずねると、
「体じゅうがふえると、せいざがしんどくて、足がいたくなるからだよ。」
と、教えてくれました。ぼくは、
「おぼうさんになるには、体力もひつようなんだな。」
と、あせをかいているおとうさんを見て、一つべんきょうをしました。

 いえにかえったおとうさんは、シャワーであせをながしたあと、朝ごはんをいそいで食べます。

 八時半から、本どうでおまいりがはじまります。朝早くから、ごもんとさんがおまいりにこられるからです。おとうさんは、本どうのあみだにょらいさまにむかって、手を合わせて、大きな声で、
「なもあみだぶつ、なもあみだぶつ、なもあみだぶつ。」
ととなえます。三十分くらいおきょうを読みます。ごもんとさんは、しずかにきいています。ぼくは、あみだにょらいさまとおとうさんとごもんとさんの心が、ひとつになっているんだなあと思います。

 ぼくは、おとうさんの一日って、とてもいそがしいななあと思います。そして、しごとをやりとげるために、体力づくりにはげんでいるおとうさんは、えらいなあと思います。ぼくも、おとうさんみたいにがんばる人になりたいです。

4月16日~ご門徒方の声に恥ずかしながら…2008年04月16日【70】

4月1日~素直で平等なまなざしで…

 お寺の境内や公園の桜が一斉に開花しました。

 さて今月は、幼稚園・保育園、学校、会社など、入学式や入社式が行われ、新たなスタートと出会いの月です。

 先般、知り合いの幼稚園の園長先生から、次のようなお話をお聞きしました。
 その幼稚園では、五歳の年長組のクラスに、体の不自由な園児・S君が在園しており、S君は三歳から入園し五歳になるまで、先生の指導や保護者の励ましのもと、障害のない園児たちと一緒に過ごしてきました。

 幼稚園では、日常の保育のほか、運動会やお遊戯会など、さまざまな行事があります。体に障害を抱えた子どもには大変なこともありましたが、S君はその一つ一つの行事を努力して乗り越えました。

 そして、S君が年長組になり、幼稚園最後の運動会が終わった後、教室で先生が、みんなと一緒に最後まで努力して頑張ったS君を褒めました。

 しかし、その先生の言葉の後、子どもたちが口々に言ったそうです。
 「本当にS君はとても頑張ったと思うよ。でも、もっと頑張った人がいるよ。それはB君だよ」

 そのクラスには、家庭の事情で、五歳児になって初めて幼稚園に入園してきたB君がいたのです。

 「もちろん体が不自由なS君は、三歳から僕らと一緒に入園して三年間、僕たちの二倍も三倍も頑張った。でもB君は、五歳で初めて入園して、何もかもが初めてなのに、僕たちと一緒にやろうと、この一年間の頑張りようは誰よりもすごかった」
 子どもたちは、そのことを先生に伝えたのです。

 幼稚園の先生方は、その言葉を聞いて、子どもたちがいかに素直で平等なまなざしで、物事を見て感じていることに気付かされたといいます。と同時に、大人のまなざしが、体が不自由だからだれよりも大変なのだ、という安易なものの見方、偏ったものの見方をしていたことに気付かされたとおっしゃいました。

 そんなすばらしい子どもたちが今年もたくさん入園してきます。そしてたくさんのすばらしい出会いがあることでしょう。

4月1日~素直で平等なまなざしで…2008年03月31日【69】

3月15日~吐く息吸う息一瞬一瞬を…

 春のお彼岸です。日に日にあたたかさが増してきました。

 さて、先月、二月十五日は、お釈迦さまが涅槃に入られた日でした。つまり八十歳でお亡くなりになった日です。お寺の子ども会では、子どもたちにそのことをお話しし、お釈迦さまのご遺徳を偲びました。

 お釈迦さまは、今から二五〇〇年前、インドの釈迦族の王子としてお生まれになり、十六歳で結婚し子どもも授かりましたが、二十九歳で地位や財産などすべてを捨てて出家され修行者となりました。

 さまざまな厳しい修行と瞑想の果てに、三十五歳で悟りを開かれ仏さまとなり、それから四十五年間、多くの人々に仏教の教えを説かれました。

 そして、高齢の身となられ、最後の旅の途中でお倒れになったのです。

 ちょうど昨年の二月、私はそのお釈迦さまの仏跡参拝のため、インドに行っていたのですが、お釈迦さまが亡くなられたところは、クシナガラという場所で、家でも病院でもなく、林の中でした。二本の沙羅の木の間に、頭を北に、右脇を下にしてお亡くなりになったのです。

 仏教の開祖で、人類史上最も偉大な方の最後は、立派な家でも病院でもなく、屋根さえない林の中でした。これは何を意味しているのでしょうか。

 それは、人間は、亡くなるときの場所や環境が問題ではなく、それまでの生き方が大切なのだということを教えて下さっているのです。立派な人でも病で苦しみながら死ぬこともあります。たとえ裕福であっても、事故や災害にあって死ぬこともあります。人は死を選ぶことはできません。それよりも、その人がどのような人生を歩んだかが重要なのです。

 私たちのいのちは、この吐く息吸う息の一瞬一瞬にしかありません。

 その一瞬一瞬を粗末な生き方にしていないか、無駄な生き方にしていないか、お釈迦さまはそのことを問いかけておられるのです。

3月15日~吐く息吸う息一瞬一瞬を…2008年03月16日【68】

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