こころの電話

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8月1日~その姿を思い浮かべながら…

 「夜の秋」とは夏の季語。夏の夜に、ふと秋のような涼しさを感じる時を言います。

 さて、今年もお盆が近づいてきましたが、この頃になると全国からお寺に数通の現金書留が届きます。

 封を開けると、中にはお手紙とお布施が入っています。鹿児島市のSさんからは、「移動にバスを利用しなければならないので、お参りができませんのでお盆のお勤めをしてください」と添えられています。

 大阪のBさんからは、「帰省しようと思っていたのですが、新型コロナの感染拡大のために帰省できなくなりました。お盆に仏さまにお供えしてください」と添えられています。

 宮崎のTさんからは、高齢のためなかなか鹿児島まで帰ることができませんので…」と、交通の便や新型コロナ、高齢など、皆それぞれに故郷に帰省できない理由が書かれていました。

 この他にもそれぞれお便りが添えられているのですが、私はその一通一通を拝見しながら、心から有り難く思います。

 なぜなら、そこにはご先祖を思い、故郷のお寺を思い、感謝の思いでお供えしてくださる心が表れているからです。

 ただご先祖を思うだけなら、お経をお勤めしてもらうのであれば、お住まいの近くのお寺に足を運べば事は済みます。

 しかし、お手紙を書いて、お布施を包んで、故郷のお寺にわざわざ郵送してくださることを私は大変嬉しく思いますし、きっと仏さまを敬うお心やご先祖への感謝の思い、故郷のお寺を懐かしく思ってくださるお心が、この行為に表れているのでありましょう。

 Sさんも、Bさんも、Tさんもその他の方々も、帰省できなくとも、それぞれのお家のお仏壇で仏さまにて手を合わせくださっていることでありましょう。

 私はそのお姿を思い浮かべながら、お念仏とともに仏さまに感謝のお勤めをいたします。有り難いお盆であります。

8月1日~その姿を思い浮かべながら…2022年08月03日【409】

7月16日~少しでも考える機会を…

 長い夏と書いて「長夏」、夏の盛りの日の長い頃をさす言葉です。

 さて、今月八日、安倍晋三元首相が、奈良市内で選挙演説中に狙撃されお亡くなりになるという、まことに痛ましい事件が発生しました。

 容疑者は、「母親が宗教団体に入会し、多額のお金を振り込んだため破産し、家庭生活がめちゃくちゃになった。絶対成敗しないといけないと思った」と供述した伝えられます。  

 事件の真相やその宗教団体の実態については、今後の捜査結果を待たねばなりませんが、それ以外に、世の中にはカルトと言われる宗教がたくさんあります。

 以前、当時朝日新聞学芸部「こころ」編集長を務めておられた菅原信郞さんは、カルトの見分け方について三つあるとおっしゃいます。

 一つは入退会の自由があるかどうかです。自分がこの宗教を信仰したい、学びたいと思った時に自由に入会できて、逆に、自分がどうもこの教えは受け入れられないと思った時に、その組織から自由に退会できるかということです。

 二つ目にはお金です。「寄附をこれだけしなさい」「お布施をたくさんしなければ救われませんよ」というような教えは心配です。まして「たくさんお布施しなければ、あなたは地獄に堕ちますよ。先祖が祟って今の生活が大変なことになりますよ」というようなことがあれば、それは既に宗教団体ではなくて恐喝団体です。

 三番目に、その組織の中に、言論の自由があるかどうかということです。そこで説かれる教えや教祖について、自由に議論ができるかどうか。

 自分の心のより所となる宗教ですから、本当に自分自身で納得できなければなりません。時には教えに疑問が生じるかもしれません。いくら教祖様であっても同じ人間ですから、心底から敬える人でなければなりません。それらが自由に議論できて、しかも公開されているかどうかということです。

 安倍元首相のような悲しい事件は二度とあってはいけませんが、それと合わせて、きっかけとなった宗教ということについて、少しでも考える機会をもってもいいかもしれません。

7月16日~少しでも考える機会を…2022年07月17日【408】

7月1日~如来さまの救急車

 大変短い梅雨が明けて、毎日暑い日が続いています。

 昨日六月三十日の東京都内の救急車の出動件数は三一五〇件で、一日の出動件数としては過去二番目に多いそうで、熱中症による搬送者が急増したのが主な要因だそうです。

 あの救急車のサイレンを耳にすると、搬送されていかれる方の無事を案ぜずにはおれません。

 皆さんは、あの救急車の「救急」という言葉は、如来さまのお慈悲の心からとったものであることをご存じでしょうか。元来仏教では、「きゅうきゅう」ではなく「くきゅう」と読むのですが、善導大師という中国のお坊さんが、「救急の大悲」と言われ、何が縁となって、どっちに向かうかわからない危なっかしい私を心配して、いつでも、どこでも、常にはたらいていてくださる阿弥陀さまのお慈悲の心を示されています。

 ただ、救急車と、救急の大悲と違うところは、救急車は電話をかけて呼ばないと私の所へは来てくれませんが、如来さまが私を救おうとする救急の大悲は、私が呼びもしていないのに、サイレンを鳴らしながら私のもとへ来てくださっているということです。

 貪りや怒りや迷いの心に日々病んでいるのに、それに気づかない私の病気を先に見ぬいて、そのサイレンが耳に届いていながら、なかなか聞こうとしない私を、この今も心配してはたらいておられるのです。有り難いことです。

 今度、浄土真宗のお寺に行かれたならばご本尊をよくご覧ください。浄土真宗のお寺の本尊・阿弥陀如来は必ずお立っておられ、さらに、そのお姿を横から見ると必ず前のめりになっておられます。

 煩悩を抱えた私たちを見ていると、うかうか座ってなどいられない。如来さまの方から真っ先に、私を救うために駆けつけてきてくださっている。まさしく、このお姿こそ、如来さまの大悲のお心を表しているのです。

7月1日~如来さまの救急車2022年07月01日【407】

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