こころの電話

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10月16日~私の罪をとがめることなく

 幼稚園・子ども園の運動会の準備に追われていましたら、つい、このテレホン法話を忘れていました。申し訳ありません。

 さて、宗教にかかわる言葉で、「汝の罪は深い」とか、「汝の罪を許す」という言葉を聞くことがありますが、このことについて、深川倫雄先生が述べられています。

 西本願寺のパンフレットに掲載されていた一部をご紹介します。

 「『無量寿経』の前半は「弥陀分」というて、お釈迦さまが、阿弥陀さまとはこういう仏さまなんだとお説きになっているけれども、その中には一カ所も我々の生き方が告げていない。また一言も私どもの罪が深いとは説いていない。有り難いね、これは。罪深い者に『汝の罪は深い』と告げるひまはないんだ。

 川端を通りかかったら、子どもが土手で遊んでいたらしゅうて、一人で溺れておる。そこへ通りかかって『こんなとこで相撲とるから溺れるんじゃないか』と、罪を告げるひまはないではないか。溺れておるなら、何であろうとまず先に救うてやらねばならん。

 それがお救いなんだから『我何をなすべきか』ではなくて、『仏何をなしたもうか』を聴聞するんですよ」とおっしゃっています(『如来をきく』彰順会篇・深究社)。

 阿弥陀さまは、おまえは罪が深いとか、おまえのここが悪いから直せとか、おっしゃる仏さまではありません。

 阿弥陀さまは、私たち一人ひとりの苦悩を知りぬいて、一時も休むことなく案じ通し心配し通しの仏さまであり、悩み苦しみ多き私たちのために、今立ちあがっていかねば間に合わぬという親心を現した姿が、あのお立ちになった姿の阿弥陀如来であり、私たちの罪をとがめることなどなく、私たちそのままを救い取ってくださる仏さまであります。

 まことにありがたい仏さまであります。

10月16日~私の罪をとがめることなく2022年10月18日【414】

10月1日~仏さまを思い、ご門徒を思い…

 先月十八日に到来した台風十四号は過去最強クラスで、台風の特別警報が沖縄以外で発令されたのは初めてという強い台風でした。

 被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞い申し上げます。

 お寺は、本堂や書院など建物には被害はありませんでしたが、お寺に登る坂道の桜の大きな枝が折れました。またお寺の裏山から数本の竹が倒れて道路を塞ぎ、自動車が通行不可能になり、さらに境内や納骨堂周辺が一面葉っぱで埋め尽くされました。

 翌日の早朝、荒れ果てた光景を見て途方に暮れていると、建設会社のWさんが自ら駆けつけてくださり、まだ雨の降る中、ずぶ濡れになりながら納骨堂周辺の落ち葉を片付けてくださいました。

 植木屋さんのWさんも駆けつけてくださり、機械で倒れた竹や桜の木を切って、その日の午前中のうちに車が通れるようになりました。

 翌々日の朝は、こども園の先生方が境内一面に散れた大量の葉っぱを一日かけて清掃してくださいました。

 皆ボランティアでまことに有り難かったのですが、何よりも有り難かったのは、「仏さまがいらっしゃるお寺は少しでも早くきれいにしなければ」「ご門徒がお参りに来られるお寺だから、早く掃除をしなければ」という、仏さまを思い、参拝されるご門徒を思う皆さんの心です。

 仏教でお金や物は持たなくてもできる施しの中に、体をもって行う施しを「身施」と言いますが、仏さまのご恩を思い、参拝するご門徒を思い、皆汗だくになりながら、多くの方々にこの「身施」をいただきました。

 ちなみに、その翌日は子ども園の職員も、住職のわたしも全員腰痛になり、それほど大変な作業だったのですが、互いに笑い合い、労をねぎらって、心地よい痛みとなりました。

10月1日~仏さまを思い、ご門徒を思い…2022年10月01日【413】

9月16日~仏さまの教えをただひたすら求めて

 中秋の名月も過ぎて、秋気清らかな季節です。

 真夏には、早朝のお勤めから汗だくになっていたのですが、最近は次第に涼しくなってきました。

 さて先日、NHKBS放送で偶然、昔懐かしいシルクロードの放送がありました。

 シルクロードは、紀元前二世紀から十五世紀半ばまで、東西の経済・文化・政治・宗教の交流に中心的な役割を果たした交易路で、この名称は中国で生産される絹織物の貿易に由来しているそうですが、番組は、その長い長い道のりをNHKの撮影隊が取材したドキュメント番組です。

 その放送を見ながら、昔読んだ本の中にあった念仏者・浅田正作の詩を思い出しました。

 「立てば罪 座れば悪 この果てない苦悩の砂漠を 西へ西へ向かった人があるのだ 今はひたすら このことを信じて歩むしかない」

 シルクロードと言えば聞こえはいいですが、実際は果てしなく続く砂漠に吹く砂嵐。日差しが照り続ける過酷な道のりで、昔、中国の僧侶方は、仏さま教えをただひたすら求めて西へ西へと向かいました。

 無事インドまでたどり着いた僧侶もいましたが、途中で方角がわからなくなり水食料も絶えて、砂漠で朽ち果てて骨と化した方も多くいたと聞きます。仏の教えを求めて後に続く人々は、この人骨を目印に西に向かったと言われ、シルクロードは別名「骨の道」、「ボーンロード」と言われるそうです。

 朝のお勤めやご法事で毎日、お経を読むわけですが、私たちの手元にお経をあることは、ひとえに仏の教えを求めて、この過酷な道のりに向かわれた数多の僧侶方のお陰と言うしかありません。

 老、病、死を抱え、思い通りに行かぬこの人生は、果てない苦悩の砂漠です。 この苦悩を超えて生きぬく道こそ、仏さまの教えであります。

 日々その経典を拝読できることに感謝しつつ、仏さまの道を求めてコツコツと歩み続けるしかありません。

9月16日~仏さまの教えをただひたすら求めて2022年09月17日【412】

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