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12月1日~ 「ご恩に報いる姿」とは…

 寒さが急にまして、暖房器具が入る家庭も増えつつあります。

 さて、先月から今月にかけて、鹿児島のお寺では報恩講法要が執り行われています。報恩講法要は、浄土真宗の本願念仏の教えを開いてくださった親鸞聖人のご命日に際し、親鸞さまに感謝すると共に、大いなるいのちの恵みをいただいて生かされるご恩に感謝するご法要です。

 その「ご恩に報いる」ということについて、鹿児島のある幼稚園での出来事をご紹介します。

 ある日の夕方、その幼稚園で、園長先生以下全員で職員会議をしていたら、園児のS君のご両親が自動車であわてた様子で来られました。

 園長先生が玄関先に出てみると、ご両親がかけてきて、「先生、有り難うございました。よかった。よかった」と大変喜んでおられました。

 園長先生がその訳を聞くと、S君は、その当時年長児五歳、実はお兄ちゃんがいたのですが、お兄ちゃんは三歳の時、大病を患って既に亡くなっていました。

 ちょうどその日は、幼稚園で、S君のお誕生会が開かれた日でした。先生やお友だち皆からお祝いをしてもらい、誕生日プレゼントをもらって、S君は帰宅しました。

 お家には、お母さんがいました。「Sちゃん、お帰り」と迎えたのですが、S君は玄関から真っ先にお仏壇の前に行き座りました。そして、幼稚園でいただいたプレゼントをお仏壇にお供えして、「ののさま、お兄ちゃん、お誕生会だったよ。お祝いしてもらったよ。うれしかったよ。ののさま、お兄ちゃん有り難う。ナモアミダブツ」と手を合わせました。

 それを見ていたお母さんは感極まって、携帯電話でお父さんに伝えると、お父さんもうれしさのあまり仕事をそのままにして、夫婦そろってそのことを幼稚園に報告に来られたのでした。

 このS君の姿は、私たち大人にとても大切なことを教えてくれています。仏さまのご恩に報いる日暮らしを大切にしたいものです。 

 なお、覚照寺の報恩講は、十二月十一日から十三日まで、計五座勤まります。お誘い合わせ、お参り下さい。

12月1日~ 「ご恩に報いる姿」とは…2006年12月01日【37】

11月15日~60億の数字の裏には…

 毎日、朝夕の気温の冷え込みに、いよいよ本格的な冬到来を感じます。風邪をひかないように注意したいものです。

 さて、西武ライオンズの松坂大輔選手が、アメリカの大リーグに挑戦することになり、その交渉権を名門レッドソックスが得ました。その交渉権を得るための入札金額は、なんと日本人選手としては過去最高の約60億円という高額で、松坂選手自身も、「自分の思った額のはるか上をいってビックリ。評価をしていただいてうれしい」と心境を述べていました。

 60億円とは、私たち庶民には見当も付かないお金ですが、現在日本を代表する好投手を、アメリカの大リーグがいかに求めているかが現れています。

 ただ、ここで一つ考えたいのが、その60億円という数字が単に松坂選手一人の実力につけられた価値かどうかということです。確かに名実共にすばらしい選手ですし、そこには幼い頃から野球に打ち込んできた本人の努力もありましょう。

 しかし、松坂選手より以前に大リーグに挑んだ選手には、野茂選手や田口選手、松井選手やイチロー選手たちがいます。彼らは大リーグにおいて、日本人として輝かしい実績を残しています。

 つまり、日本を代表する野球選手は、必ずすばらしい実績を残すとともに、スポーツマンとして問題を起こすような選手は一人もいないという信頼・信用を、彼ら先輩選手が身をもって示しているのです。

 松坂選手に示された高額な評価は、彼の実力はもちろんですが、それに合わせて、日本の先輩選手たちが努力と結果の末に得た信頼・信用というものが、それを陰で支えていると見るべきでしょう。

 私たちにも同様のことが言えます。日常で周囲の人から認められたり、褒めて頂いたりしたときに、少し立ち止まって、自分自身の周りに目を向けることも大切なことでしょう。きっと、自分一人の力だけではなかったことに気付かされるはずです。そして、そこにこそ「お陰さまで」と、感謝の日暮らしが恵まれます。 

11月15日~60億の数字の裏には…2006年11月16日【36】

11月1日~自分一人のこととして聞くべし

 毎日、雨の降らない天気が続きます。畑の野菜が水不足にならないか心配です。

 さて、十月末、ご門徒のHさんのお宅にご法事で参りました。奥さまの一周忌です。Hさんは、昔からとても信仰のあつい方ですが、奥さまを亡くされて大変落ち込んでおられました。しかし、娘さん方の力添えがあって、最近ようやく元気になられました。

 いつものようにお勤めをしてご法話をしました。この日は、「本願を信じ念仏を申せば迷いの世界に堕ちることなく、必ずお浄土に往生し仏さまとなる」教えについて、迷いの世界を紹介しながら話しました。

 地獄とは、意に添わないことがあったとき、自らのことは棚に上げて人に責任をなすりつける亡者と、人の欠点や失敗を激しく責め立てる鬼が互いに争う世界。餓鬼とは、欲にかられ自分に取り込むことばかり考え、周りの人に恵むことを忘れた者が堕ちる世界。畜生とは、お陰さまの心を忘れ、自分の言動や行動を省みることなく恥を忘れた者が堕ちる世界など、私なりにわかりやすくお話をしました。

 会食の時間になり、私もしばらくいっしょに食事をいただきましたが、その時、お参りに来られていた大崎町で司法書士をされているという男性が、私のところに挨拶に来てくださいました。

 その方は私に対して、「実は、私の家は神道ですが、今日のお話は私のことと聞きました。地獄、餓鬼、畜生とは、この私のことでした。有り難うございました」と、お礼をおっしゃってくださいました。私は大変恐縮したのですが、逆にこの男性からとても大切なことを学びました。

 仏法の聞き方について、私たちの先輩方は、「この度のご縁は、我ひとりのためと聞くべし」と、お勧めくださいました。つまり、人ごとでなく自分一人のこととして仏法は聞きなさい、ということです。

 いくらすばらしい教えでも、人ごととして聞いているうちは決して理解はできません。いくら尊い教えでも、自分の生活や人生と照らし合わせて聞かなければ絵空事になってしまいます。

 「地獄、餓鬼、畜生とは、この私のことでした」という男性のお言葉に、「我ひとりのためと聞く」という聞法の姿勢を、あらためて教えられました。

11月1日~自分一人のこととして聞くべし2006年10月31日【35】

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