11月1日~自分一人のこととして聞くべし
毎日、雨の降らない天気が続きます。畑の野菜が水不足にならないか心配です。
さて、十月末、ご門徒のHさんのお宅にご法事で参りました。奥さまの一周忌です。Hさんは、昔からとても信仰のあつい方ですが、奥さまを亡くされて大変落ち込んでおられました。しかし、娘さん方の力添えがあって、最近ようやく元気になられました。
いつものようにお勤めをしてご法話をしました。この日は、「本願を信じ念仏を申せば迷いの世界に堕ちることなく、必ずお浄土に往生し仏さまとなる」教えについて、迷いの世界を紹介しながら話しました。
地獄とは、意に添わないことがあったとき、自らのことは棚に上げて人に責任をなすりつける亡者と、人の欠点や失敗を激しく責め立てる鬼が互いに争う世界。餓鬼とは、欲にかられ自分に取り込むことばかり考え、周りの人に恵むことを忘れた者が堕ちる世界。畜生とは、お陰さまの心を忘れ、自分の言動や行動を省みることなく恥を忘れた者が堕ちる世界など、私なりにわかりやすくお話をしました。
会食の時間になり、私もしばらくいっしょに食事をいただきましたが、その時、お参りに来られていた大崎町で司法書士をされているという男性が、私のところに挨拶に来てくださいました。
その方は私に対して、「実は、私の家は神道ですが、今日のお話は私のことと聞きました。地獄、餓鬼、畜生とは、この私のことでした。有り難うございました」と、お礼をおっしゃってくださいました。私は大変恐縮したのですが、逆にこの男性からとても大切なことを学びました。
仏法の聞き方について、私たちの先輩方は、「この度のご縁は、我ひとりのためと聞くべし」と、お勧めくださいました。つまり、人ごとでなく自分一人のこととして仏法は聞きなさい、ということです。
いくらすばらしい教えでも、人ごととして聞いているうちは決して理解はできません。いくら尊い教えでも、自分の生活や人生と照らし合わせて聞かなければ絵空事になってしまいます。
「地獄、餓鬼、畜生とは、この私のことでした」という男性のお言葉に、「我ひとりのためと聞く」という聞法の姿勢を、あらためて教えられました。
2006年10月31日【35】