こころの電話

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6月1日~自らの姿勢厳しく…

 強い日差しに照らされて、山々の緑がまぶしく輝いています。

 さて、五月末に、現役の大臣が自死するという大変痛ましい事件がありました。

 資金管理団体の高熱水費や事務所費の不透明な支出など、国会で大きな問題となっていましたが、その渦中の現職閣僚が自ら命を絶つという最悪な結果となりましたことは、誠に残念というほかはありません。

 この事件の翌日、ある小学校の低学年の生徒たちが、この事件の話を学校でしていたそうで、幼い子どもたちにまで影響を与えていることは大変危惧するところです。

 事の真偽はわかりませんが、「政治とお金の疑惑」について、野党は大臣を徹底的に追求しました。大臣は、「法律に基づいて適切に報告している」の一点張りで回避しようとしますが、与党のしがらみの中で、おおよそ孤立し四面楚歌の状況のようでした。

 残念と思うことは、国民の代表である政治家が集まった中で、一人の人間が自ら命を絶つまで、それを救う人が誰もいなかったこと、そばに寄り添い支える人が結果的にいなかったことです。

 政治家として、一人の人間として過ちがあったかもしれません。周囲はそこを徹底的に攻めました。ご本人も某かの事実を話して社会的に身を処することを考えたかもしれませんが、周囲からそれも許されなかったようです。完全に追い詰められた状態でした。

 東京都知事が他人事のように、「彼も侍だった」と言いましたが、今は、割腹を良しとする江戸時代でしょうか。

 人は誰しも過ちを犯します。だれしも欠点はあります。また縁によってどのようなことをするかわからない存在です。しかし、そのようなときに、本当にその人の身になって寄り添う人がいたなら、勇気を持って共に行動し、悩める人を支える人がそばにいたならと思わずにはおれません。

 一人の人間として、自らの姿勢が厳しく問われます。

6月1日~自らの姿勢厳しく…2007年05月31日【49】

5月15日~テレビ放送に惑わされず…

 ゴールデンウィークも過ぎて、次第に夏の気配が漂ってきます。

 さて、少し前の話になりますが、寒天がダイエットに効果があるとテレビで放送され、全国のスーパーの寒天が売り切れたということがありました。

 また、納豆によるダイエット法がテレビで放送されて、納豆が売り切れ状態になったということもありました。しかし、この納豆のダイエット効果はテレビ局の完全なねつ造で、後日、このテレビ局は社会的な制裁を受けることになりました。

 いずれにせよ、テレビ放送の影響がいかに大きいかがわかりますし、それだけに、番組を作る側の責任が問われます。

 先日、ご法事であるお宅に出向いたときに、お仏壇のお花が仏さまの方を向けて逆に供えてありました。私が、くるりと私たちの方へ向きを変えると、「この前テレビで言ってたことと違いますね」と、そのお宅の奥さまが言われました。

 訳を聞くと、テレビで最近人気の女性占い師が、「仏さまへのお供え物だから、仏さまの方を向けて供えるのよ」ともっもらしく言っていたそうで、奥さまは真に受けてその通りにされたようです。

 仏さまのお花は、美しい正面を私たちに向けるのが正しい供え方で、仏さまの方に向ける供え方などありません。

 いい加減なことを話す女性占い師は、お仏壇は何か、仏さまとはどういうお方か、仏さまのお心はいかなるものか知らないはずです。知らないからでたらめを平気で話すのです。

 阿弥陀如来という仏さまは、人間の方から何かしてほしい、お供えしてほしいと言われる仏さまではありません。阿弥陀如来から私たちにかけられた真実の願いを聞きひらいていくのが念仏の教えです。

 テレビの有名人が言うようなことに惑わされず、確かで安心した一日一日を過ごせるよう、仏さまの教えを日々聴聞して参りましょう。

5月15日~テレビ放送に惑わされず…2007年05月14日【48】

5月1日~「自信教人信」の歩みを…

 日の光に、新緑が輝いて見える季節です。

 さて、四月二十八日、二十九日に、覚照寺の本堂大修復の落慶、創立百三十年、第四世住職継職を祝う慶讃法要が執り行われました。

 二日間とも、とてもよい天気に恵まれて、大阪、京都、大分、また県内各地より有縁のお坊さん方が参集くださり、本堂満堂の参拝者のもと、にぎにぎしく法要が勤まりました。

 私も、大修復がなされた美しい本堂で、第三世住職の父より直接第四世の住職の任を譲り受けることが出来ました。

 「有り難い」とは、日常で頻繁に使う言葉ですが、すべての条件が見事に整って法要が勤まった二日間、このことを深く感ぜずにはおれませんでした。

 法要中、私は、阿弥陀さまの御前にて、住職継職の報告と決意を、「仏祖の冥加を受けて、歴代住職の足跡をたどり、門信徒方のご助力を得て、み法の灯を絶やさぬように、ひたすら精進いたし、自信教人信の歩みを重ねます」とお誓いしました。

 「仏祖の冥加を受けて」とは、仏教の開祖のお釈迦さまと、浄土真宗の開祖の親鸞聖人の目には見えない大いなる恵みとはたらきという意味です。そして、「自信教人信の歩み」とは、自ら阿弥陀さまの教えを信じて、また人にそれを教えて信じる人になってもらうことです。

 親鸞聖人は、その自ら阿弥陀さまの教えを信じて、また人にそれを教えて信じる人を育てることは、これ以上に難しいことはないとおっしゃっています。九十年の生涯をそれにそそぎこまれた聖人の実感でありましょう。

 しかし、僧侶のお仕事はこれ以外にないのも事実です。
 自らが阿弥陀さまの教えを進んで聞き、その尊さを身をもって周りの方々にお勧めする、それが僧侶で住職の本分です。

 これより住職として、その本分が全うできるように精進いたします。
 今後とも、このテレホン法話をよろしくお願いいたします。

5月1日~「自信教人信」の歩みを…2007年05月01日【47】

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