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9月1日~心頭を滅却すれば…

 今年の夏は格別に暑い夏でした。どこに行っても、どなたと会っても、「今年の暑さは例年と違いますね」というあいさつから会話が始まりました。

 以前、ドラマ「北の国から」の脚本家・倉本聰さんが、「地球温暖化ではなく、地球高温化といって、人間はもっと地球の危機を感じるべきだ」と言っておられましたが、本当にそれを実感する夏でした。

 私も、お盆には、一日かけて初盆のお宅をお参りしましたが、衣の下は汗でびっしょりです。

 「心頭を滅却すれば火自ずから涼し」と言った禅僧・快川紹喜(かいかわしょうき)師の言葉を思い出すのですが、滅却どころか、暑さはますます増します。

 快川師は、今年の大河ドラマ「風林火山」に出てくる武田信玄に招かれて、山梨県の甲斐の国、恵林寺の住職になります。しかし、織田信長の軍勢の侵略によってお寺は全焼、火中で座禅をくんでこの言葉を唱えたと伝えられます。

 煩悩を離れ、本当に無心になれば、燃えさかる火でさえ、そのまま涼しく感じるものである、という意味です。

 快川師は、きっと禅の厳しい修行の果てに、暑さの中で熱さを忘れる特別な境地を体得されたのでしょう。

 しかし、文芸評論家の亀井勝一郎さんは、「死に直面して、びくともしない名僧だけでは困る。死に直面して、悲嘆し狼狽する名僧もいなければ凡人は救われない」と言っておられます。

 私は、その悲嘆し狼狽する名僧のお陰で救われます。なぜなら、私のような凡人は、残念ながら、修行によってびくともしない心を持った立派な名僧にはなれそうにないからです。

 悲嘆するかもしれません。狼狽するかもしれません。もしかすると自らの人生を後悔するかもしれません。しかし、そのような凡人こそ、心から認めて救って下さる方が阿弥陀如来という仏さまです。

9月1日~心頭を滅却すれば…2007年09月01日【55】

8月15日~最善のご供養の姿を~

 私たち僧侶にとって、暑さとの戦いのお盆が過ぎました。
 今年も、初盆を迎えられたたくさんのご家庭にお参りに行きました。

 その中で、Cさん宅に参りましたら、五十歳前後のCさんが、お仏壇を指さして恥ずかしそうに、「お仏壇の掃除をしました。お花も買ってきて飾りました。お菓子や果物も供えました。初盆のちょうちんも飾りました。これで母は喜んでくれるでしょうか。いいご供養になるでしょうか」と、おっしゃいました。

 Cさんのお母さまの初盆で、Cさんと奥さまは、慣れない中にも亡くなったお母さんに精いっぱいのご供養をしようとされているのですが、最善の方法が何かを私に聞かれたのです。

 お仏壇を見ると、きれいな花で飾られ、お供物が供えられ、私からお仏壇のお飾りについて何も言うことはありませんでした。

 そこで私は、「仏さまとなられたお母さんにとって、一番のご供養は、あなたや奥さま、子どもたちがいっしょに手を合わせて、お念仏を申すことですよ」と、一番大切なことを申しました。

 私たちの手は、毎日の生活の中で、ともすると自分の思いで他人を押しのけようとする手です。自分の好むものを手中に入れようとする手です。憤りを感じるとコブシを握ることさえあります。

 私たちの口からは、ともすると愚痴や不平不満、意に添わないことがあると他人の悪口がこぼれ出ます。

 仏となられた方は、あとに残る縁ある者たちの、そのような姿を決して望んではおられませんし、願ってもおられません。

 あとに残る者がいっしょに手を合わせ、報恩感謝の南無阿弥陀仏のお念仏を称える姿こそ、仏となられた方が望まれる最高の姿であり、最善のご供養になることを私はお話ししました。

 その後、私はお勤めに入りましたが、Cさん宅は、お念仏の声が高らかに響いていました。

8月15日~最善のご供養の姿を~2007年08月15日【54】

8月1日~合掌の姿がなくなる?

 参議院選挙の激しい戦いも、自民党の惨敗という結果に終わりました。

 さて、文部科学省が出している『こころのノート』というものがあります。小学生にあいさつが大事だということを教える教材ですが、その中で、ご飯をいただく際、「いただきます」「ごちそうさま」を言うときに、合掌は仏教徒の作法だから、政教分離に反するので、合掌をしない姿が記されています。

 ご存じの方も多いと思いますが、合掌は、人間が感謝や敬いの思いを身体に表す最高の姿であって、決して仏教徒のものだけではありません。

 現在、インドは仏教国ではありませんが、「ナマステ」と言い、合掌が日常のあいさつです。カトリック教徒のマザー・テレサも生前は合掌してあいさつをし、祈りをささげています。パリのノートルダム寺院には、ジャンヌ・ダルクの合掌する聖像が安置されているそうです。

 このように、合掌は仏教徒のものだけではありませんし、日本人が先祖代々大切にしてきた尊い姿が、一部の誤った論者によっていとも簡単に失われていくことを誠に残念に思います。

 ご門徒で、仏教壮年会のCさんの思い出話です。Cさんと仏教壮年数名は、福岡で開催される仏教壮年の大会に出席するために出掛けました。大会に出席し福岡市内のホテルに宿泊したのですが、夜おなかがすいたため、屋台のラーメンを食べに出向きました。

 そして、出されたラーメンを前にCさんたちは、ごく自然に手を合わせ、「いただきます」と言ってラーメンを食べたところ、その屋台の店主が、「私は、この屋台を引いて何十年もラーメンを作ってきましたが、私の作ったラーメンに手を合わせ、『いただきます』と言って食べてくださった方は、あなた方が初めてです。有り難うございます」と、お礼を言ってくださったそうです。何ともすばらしい出来事だと思いませんか。

 人間が、お互いに感謝し合い、敬う姿勢を大切にしたいものです。
 そして、今年もお盆の季節になりました。感謝と敬いの心で、仏さまにお参りをしたいと思います。

8月1日~合掌の姿がなくなる?2007年07月31日【53】

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