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9月16日〜あらためて「備えよ、常に!」

 野菊とは秋の花、しかしこれは花の名前ではなく、秋の野山に咲く菊の総称だそうです。

 さて、台風十五号は千葉県を中心に甚大な被害をもたらしましたが、上陸から一週間経っても復旧作業が遅れ、停電や断水は未だに続いています。

 報道によると、復旧作業の遅れには、山中での多くの倒木や、倒れた電柱の上に強風で飛ばされた家屋の屋根が覆い被さるなど、これまでに経験したことのない規模の災害で、慎重な作業が求められているからだそうです。  

 被災者の皆さまへお見舞い申し上げるとともに、何のお手伝いもできず、唯々早い復旧を願うばかりです。

 停電と断水は、私たちの日常の生活に多大な影響をもたらすことをあらためて痛感します。

 停電で電話が使えないということは、被災者の助けの声が行政に届かない。助ける側である行政が、食べ物や水などの支援物資を被災地に届けても、そのことを知らせる防災無線が機能せず、皆に行き届かない。

 普段は便利な携帯電話も充電ができなくては、被害状況や人々の安否も思うように確認できない。

 冷蔵庫の食べ物は腐り、エアコンや扇風機が使えず、高齢者は体調不良を起こし、また車の運転もできないので食べ物を買いに行くこともできない。

 たとえ車で出向こうとしても、倒木によって至るところで道路が寸断され、停電でスーパーも営業ができないなど、被害の連鎖は数えきれません。

 このような報道を目にし耳にするとき何が大切でしょうか。

 教えられることはいついかなる時、自分の身に同じようなことが起こるか分からないということです。そして、その時のために常々備えるということでありましょう。

 「備えよ、常に」とは昔、ボーイスカウトで学んだ言葉。わかりきったことがなかなかできないのが人間です。共々に心得たいものです。

固定リンク | 2019年09月17日【342】

9月1日〜人生のよき目標を…

 虫すだく季節。朝夕、虫聞きをしながら過ごすと心が和みます。

 さて、九月はお彼岸の法要が勤まりますが、彼岸とは、ご先祖が往きお生まれになったお浄土のこと。暑からず寒からずのこの時期に、日頃の忙しい手を少し休めてご先祖を偲ぶとともに、自分自身がそのお浄土へ至る道を訪ねていく行事です。お浄土へ至る道とは、その生き方を問い訪ねていくと言い換えてもいいでしょう。

 時折、普段まったくお寺にお参りされない人の中に、人は死んだら仏さんの世界に行くという人がおられます。でも、普段の生活の中で、まったくお寺やその教えに関わりを持とうとされない方が、死んだらどのようにして仏さまの世界に生まれることができるのでしょうか。

 人の生き方は様々ですが、やはり敬うべき姿はよき目標を持った生き方でありましょう。お仕事でも、勉強でも、スポーツでも、趣味でも、よき目標を持ち、それに向かってこつこつと弛まない努力を積み重ねることで、その目標に近づいていくのでありましょう。

 確かな目標を持つこともなく、わずかな学びや努力さえすることもなく、自由気ままに過ごして、いよいよと言うときにすばらしい結果がもたらされたという話は聞いたことがありません。

 やはり、自分の人生の最後の目標としてお浄土の世界を日々問い訪ね、その教えに学び、心の糧として人生を歩んでいく人がお浄土に往き生まれるのでありましょう。  

 かといって、私たちは厳しい行を勤める修行者ではありませんので、時には怠けたり、ふらついたり、諦めの気持ちが湧くこともあるかもしれません。

 でも、皆それぞれ今日も帰る家があるように、自分の最後の帰る家として、お浄土を心に持つ人は必ず往生することができるのです。

 その確かさは、阿弥陀如来がご本願として誓っておられます。

固定リンク | 2019年09月06日【341】

8月16日〜今生きる私のために…

 今年の夏は、猛暑と台風到来の繰り返し。涼しい秋風が恋しい季節です。

 さて、お寺や仏教というと、すぐにお葬式やご法事が思いついて、死にまつわるところというイメージを持つ方も少なくはないのですが、その教えを聞きていくと、決してそうではないことがわかります。

 例えば、仏教で人間が生前の悪業の結果として堕ちると説かれる地獄、餓鬼、畜生という世界も、ただその結果を、絵空事のように説いているわけではありません。

 地獄とは、悪いことをすべて人や物に責任を転嫁してまったく気にしない亡者と、自分のことは棚に上げて他人の失敗や欠点を激しく責め立てる鬼が同居し合い争い苦しむ世界。

 餓鬼とは、欲しいものがあると見境なくすぐに自分のものにしようとして、周囲のものに分け与えることをしないものが堕ちて、飢えと渇きの責めを負う世界。

 畜生とは、多くのいのちに支えられ生かされていることを忘れ、自分自身の言動や行動を恥じることを知らないものが堕ちていく世界だそうです。

 その内容をよく聞くと、単に先の世のことを言っているのではなく、今、自分自身の心の中にある煩悩について細かく説かれていることが分かりますし、それを戒めていることが分かります。

 問題なのは、人間という生き物は、普段はそのような邪念がないように思うのですが、縁がもよおせば、怒りや腹立ち、妬みや嫉みなど、自らの心中にどのような心がわいてくるか分からない怖さを持っているということです。

 そのような人間に対し、仏教はその心の有り様を問い、正しい道へと導く教えであります。

 火の車 つくる巧みはなけれども 己が作りて己が乗りゆく

 地獄や餓鬼や畜生の世界は、向こうにあるのではなく、私のつくりつくる世界です。

 ですから、その仏さまの教えは常々重ねて聞くことが大切なのです。

固定リンク | 2019年08月16日【340】

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