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11月16日〜様々な条件から見合う中で…

 ここ数日、急にひんやりとしてきました。風邪をひかないように注意しましょう。

 さて先月、ジャーナリストの安田純平さんがシリアで武装勢力に拘束されてから、三年四ヵ月ぶりに解放されたことをきっかけに、「自己責任」という言葉が話題になりました。

 自分が主体的に行った選択や行為については、そのもの自らが責任を負うということでしょう。またジャーナリストの江川紹子さんによると、資金調達や投資運用は自己責任でというような、もともとは金融や経済活動に使われていた言葉が、病気や事故、会社の倒産、あるいは冬山登山などの冒険など、あらゆるリスク・危険に備える警告の言葉として用いられるようになったとのことです。

 今回は、危険地帯の現実を自ら取材するために、あえて挑んだジャーナリストの行為が問われたものであり、ご本人も現地での判断を誤ったことを認めておられましたが、どれほど準備や注意をしていても、様々な条件が絡み合う現場で、絶対的に安全を保つのは難しいものがありましょう。

 またこの言葉が、危険地帯にあえて行ったのだから、どうなっても政府は知りませんというような、政府の責任を限りなく軽くするような表現だけでとらえられたり、貧困や過労死などは自分自身の適切な管理ができなかったからというような、社会的弱者や訴えを封じ込めるための言葉として使われる危険性も、江川さんは指摘しておられます。

過酷な戦場で暮らす当事者の現実を、第三者が生で取材して伝えるジャーナリストは大変な仕事です。また壮絶な苦しみを受けることを目的に自ら赴く人などいないでしょう。

 結果だけを見て原因を推測し、いたずらに責任を問うことは慎みたいものです。

 また自分自身の行動にも、よく思慮した上で行えるようなゆとりを持ちたいものです。

固定リンク | 2018年11月16日【323】

11月1日〜尊いいのちの領域

 収穫、そして食欲の秋です。幼稚園では先日、庭でたき火をして、子どもたちが掘った芋を焼き芋にしました。

 子どもたちは晴れ渡った秋空の下で、「お芋さん、ほくほくして美味しい」「お芋さん、あったかい」と口々に言いながら美味しく楽しく頂きました。

 そこで気づいたのが、子どもたちが芋に敬いや丁寧、親しみを表す接頭語である「お」と、接尾語の「さん」をつけて「お芋さん」と呼んでいることです。

 ふり返ると、お魚、お肉、お米、お野菜、お茶、お豆さんなど、私たちは多くの食べ物に「お」をつけ、あるいは「さん」をつけて呼んできました。

 これは、お金では測ることのできない存在、尊いいのちに対して深い敬いと感謝、親しみの表れでありましょう。

 以前、学校の給食費の問題で、ある保護者が「給食費を払っているのだから頂きますはいらないと思う」「給食費を払っているのだからなぜ感謝する必要があるの」という意見がありました。

 確かに給食費には、農業、漁業の生産者への代金、運送費や仲介業者への代金、調理をしてくださる方々への代金などがすべて含まれていることでしょう。

 しかしその中には、私たちが毎日口にする魚や肉、米や野菜などのいのちそのものにはお金は一円も支払っていませんし、彼らは大切ないのちを差し出しても一円たりとも請求はしていません。

 さらに、生産者や運送・仲介をしてくださる方や調理をしてくださる方にも、私たちは一度も直接頼んだことはありません。大きなはたらきの中で、多くのいのちと、多くの方々が関わり合って、私たちは日々食事を頂いているのではないでしょうか。

 これは給食費という経済論理で考える、あるいは人間の頭でははかることのできない大きなはたらきと尊いいのちの領域です。

 秋の恵みに感謝しましょう。手を合わせ「お陰さまで」「頂きます」と、心から敬いと感謝の心で食事を頂きましょう。

固定リンク | 2018年11月03日【322】

10月16日〜一番最高のお供え物を…

 秋風を律の風とも言います。邦楽で律の調べは哀愁を帯びているところからそう言われるそうです。

 さて先日、ご主人を亡くされ四七日の法要でお寺に来られた奥さまが、「お仏壇には何をお供えするのがよいのでしょうか」とお尋ねになりました。

 ご主人の中陰の法要期間です。奥さまとしては一番それに相応しいものをと心配されていることがその表情から分かりました。

 一般にお仏壇のお供えというと、お花やお菓子、果物などをされますが、中には故人が好まれた食べ物やお酒、タバコなどを供える方もおられるようです。正しいお供えとは言えませんが、亡くなられた方を偲びそうされる気持ちも分からなくもありません。

 私は、「奥さん、お花やお菓子、果物などをお供えになったらよろしいかと思いますが、それ以上に最高のもの、大切なものをお供えになったらどうでしょう」と言いました。すると奥さまはしばらく唖然としたあと、「最高のもの、大切なものとは何ですか」と聞き返されました。

 それに対し私は、「それは奥さま、あなた自身ですよ」と答えました。

 私たちは、お仏壇に供える花は花屋から買ってきたばかりの一番美しいお花を供えます。お菓子でも果物でも、お店から買ってきたばかりの新鮮でおいしそうなものを供え、決して腐ったものや傷んだものを供えることはありません。

 それは仏さまへの感謝と敬いの心をお供えという形でさせていただくからです。

 すると、仏さまにお参りする私自身はでしょうか。愚痴や不平・不満を抱えたままの私でよいのでしょうか。怒り腹立ちや妬みを抱えたままの私でよいのでしょうか。

 せめて、仏さまの前に座りお参りする時は、心は報恩感謝の思いで、口にナモアミダブツのお念仏を申してお参りすることが、最高のお供えとなるのではないでしょうか。

 今日も仏さまの願いにかなう、最高の自分をお供えしたいものです。

固定リンク | 2018年10月16日【321】

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