3月1日~明日の魚は明日海に行けば…。
岩ツツジが濃い紫色の花を咲かせ始めました。日の光に輝いています。
さて、仏教評論家のひろさちやさんが、以前、スリランカを旅行中、とある魚市場に行かれたときの出来事です。
その魚屋さんには、小さな木の台があり、その上には三十センチほどの魚が一匹置かれていて、その台の横には三人の定員らしき男性が立っていました。
ひろさんが、「あなたたちは何をしているのですか」と聞くと、その男たちは、「私たちは魚を売っています」と答えました。続いて、「この魚はどこから仕入れたのですか」と聞くと、「私たちが海から捕ってきます」と答え、「今日の収穫は何匹ですか」と聞くと、「一匹です」と答えたそうです。つまり、彼らは今日、台の上の魚一匹だけを捕ってきて、それだけを売っているということでした。
ひろさんは、なにも三人で魚を売る必要はない。一人が売って、あとの二人は次の魚を捕りに行けばいいのに、あまりにものんびりとして、無駄なことをしていると思い、それを話しました。
すると、その男たちは、「でも、今日はこの一匹だけを売れば十分だ。明日の魚はまた明日海に行って捕ればいい」、「海にはいつでも魚がいるから」と、答えたました。
ひろさんは、その言葉を聞いて大切なことを教えられたといいます。仏教では、「小欲知足~欲を少なくし、足るを知る心を持ちなさい」と教えますが、まさしくその生き方がそこにありました。今日はこの一匹だけで十分、明日の魚は明日海に行けばいい、とつつましやかに生きる生き方です。
このお話を聞いて、私はわが家の冷蔵庫を開いてみました。何時のものか分からないお菓子やおかずの食べ残し、一度は開いたものの食べてはいない佃煮のビンなどなど、たくさん詰まっていました。このままでは、きっと最後まで食べないでしょう。
もし、冷蔵庫がなければこのような無駄なことはしていないはずです。食べ物を腐らせないはずの便利な冷蔵庫が、無駄を作る要因になっているようです。
ひろさんは、日本人とスリランカ人、どちらがいのちの世界にやさしいか、考えてみましょうと、問いかけておられます。
2009年03月02日【91】