2月15日~法事のためならば、命までも…
インフルエンザが猛威をふるっています。手洗いうがいを小まめにしましょう。
さて、二月中旬、南さつま市坊津町にあるお寺の永代経法要に講師としてお招きをいただきました。法要の合間に、そのお寺のご住職から坊津町の歴史資料館や風光明媚な海岸などをご案内いただきました。
ご承知の通り、坊津町は、日本に仏教の戒律を伝えた鑑真和上が日本到達の第一歩を記した場所です。
鑑真和上が来日して戒律を授けた弟子は四万人にのぼりますが、それまでは日本には正式な僧侶は一人もいませんでした。
七四二年、日本の僧・栄叡(ようえい)と普照が受戒の先生を求めて中国へ渡り、鑑真和上のもとへ行き、弟子の中から日本に来て戒律を授ける者を求めました。しかし、命をかけて海を渡ろうという者は一人もいませんでした。
すると鑑真和上はこう言われました。
「法事のためであります、どうして命を惜しむことがありましょうか。どなたも行く人がいなければ、私がただちに参りましょう」
当時の海は大変な危険が伴いました。船が難破したり、ときには海南島に流されました。また密告によって出国が妨げられます。結果、三十六人の人が亡くなり、鑑真和上自らも失明しました。日本に来るまで五回も渡海に失敗、来日がかなったのは二十年後のことでした。
鑑真和上は、「法事のためならば、どうして命を惜しむことがありましょうか」と、おっしゃいました。鑑真和上の仏法に対する厳しさと真剣味が伝わってくる言葉です。
法事とは、お経を勤め、仏さまの教えをいただくことを言いますが、わたしたちが日々勤める年忌も法事と言います。いかがでしょう。ついつい慣れが生じて真剣味が失われていないでしょうか。仏さまの教えを聞くことが二の次になって、食事会や記念品のことなどが先立っていないでしょうか。
「法事のためならば、命をも惜しまぬ」。鑑真和上の厳しいお言葉に、自らの日々を省みることであります。
2009年02月15日【90】