7月1日~ハンドルとブレーキ
日々、慌ただしく過ごしていましたら、六月十六日のテレホン法話の変更をすっかり失念していました。申し訳ありません。
さて昨今、高齢者の運転による痛ましい事故が立て続けに起こりました。
道路を一直線に走り、ブレーキをかけることもなく人をはねて建物に突っ込む様子がテレビで報道されましたが、死傷された方々へのお見舞いの思いとともに、大変心が痛みました。
誰も、あのような事故を起こすと思って運転する高齢者はいないでしょう。
いざという時にとっさの運転操作ができなくなるのか、あるいは意識を失ったりするのか、いずれにせよ、高齢になると自分では意識しないうちに、瞬間的に間違わずにブレーキをかけ、ハンドル操作できなくなる状態になるのでありましょう。
自動車同様、人間の心にもハンドルとブレーキが必要で、宗教はそのはたらきをするものでありましょう。自動車と同じように、私たちの人生もそれぞれ前に進まねばなりません。止まっているだけならエンジンもタイヤも、動くためのエネルギーも必要ありません。
正しい目的地に迷うことなく、ルールを守って、安全にたどり着くためにハンドルがあり、ブレーキがあり、それを適切に操作するドライバーが必要なのです。
私たちの人生はどうでしょうか。誤った方向へハンドルを切っている人はいないでしょうか。ブレーキをかけて止まる必要があるのに、一直線にアクセルを踏み込んでいる人はいないでしょうか。
他人事でなく、自分のこととして、その生き方を教えに聞いていく、問い尋ねていくことが、宗教では大切なことであります。
そして、その対象には年齢は関係ありません。幼い子どもや血気盛んな若者、そしてお年寄りまで、すべての人が講習者となるべきものです。
2019年07月01日【337】