7月16日~水俣で学んだ三つのこと
湿気の多い季節、片手に団扇が必要になってきました。
さて、先月二十八日、熊本地方裁判所で言い渡されたハンセン病家族訴訟判決について、政府は控訴をしないことを明らかにしました。
多くの差別を受け、計り知れない苦難を強いられたご本人や家族のご苦労を思うとき、この判断が早く実効的な対策に向かうことを願います。
このニュースを聞いて思い出したのが、既にお亡くなりになりましたが、二〇〇二年に水俣市でお会いした水俣病の語り部の杉本栄子さんからお聞きしたお話です。
杉本さんは水俣の漁師の娘として生まれ育ち、村全体が家族ぐるみでお付き合いをし、大変おだやかな漁村だったそうです。
杉本さんが中学生になったある日、お母さんの体が突然震えはじめ病院に運ばれますが、そこは既に神経を冒された人々が狂騒する地獄の光景だったそうです。
当初、風土病と思われた水俣病は、多くの差別と偏見を生み、村には造言飛語が広がり、杉本さんは筆舌し難い差別の過酷な日々を送ります。
「今になってやっと話せる」という体験談は、聞く人自らの心を問う言葉となって重く深く迫ってきたことを記憶しています。
杉本さんは、水俣病の厳しい体験を通して学んだことは三つだとおっしゃいました。
一つは、「物事を知らんことはいかん」こと。やむを得ないことですが、漁師に生まれ育った杉本さんは海と魚のことしか知りませんでした。社会のことは前向きに学ばねばいけないということです。
二つには「知ったかぶりをすることはいかん」こと。三つには「嘘を言うことはいかん」こと。知ったかぶりのいい加減で曖昧な知識をひけらかしたり、町中に広がった造言や嘘は、当時病で苦しむ人だけでなく、水俣の町中を混乱に陥れ、多くの人々を苦しめ辛い思いをさせたそうです。
この三つは、日々私たちの生活の有り様を問うものでもあります。
2019年07月16日【338】