2017年1月1日~最後の到達点見つめて…
明けましておめでとうございます。本年も「覺照寺こころの電話」をよろしくお願い申し上げます。
さて、二〇一七年(平成二十九年)の幕開け。一人ひとり、また新たな一年が始まりました。
今年一年の計画はお立てになったでしょうか。すでに新たな年のスタートは切られたわけですから、もうその計画はできていなければなりません。
しかし、計画はおろか、その思いさえもまとまっていない人は毎日、目の前の用事に追われて、慌ただしくあっという間に年末、そして年越しとなってしまったからでありましょう。
一年は短い単位かもしれませんが、しかしその繰り返しと積み重ねがその人生です。つまりその短い一年を、確かな計画を持たずに、それを繰り返しながら過ごす人生は、慌ただしく不安定なものとなりかねません。
また、ただ今の計画がしっかりと立てられないのは、最後の到達点をしっかりと見つめていないからかもしれません。自らの最終地点、行き着く所がしっかりと念頭に置けるならば、それに向かう確かな計画は立てられるはずです。
浄土真宗に「後生の一大事」という言葉があります。
「後生」とは後の生と書いて、いのち終えてからのこと。「一大事」は最も大切なこと。つまり「この人生が終わってからのこと、いのちの帰すべき所が、あなたは明らかになっていますか」との問いかけです。
人生には必ず終わりが来ます。しかもいついかなる時、どのような形で終わるかもわからないことは、これまで社会や周囲の縁ある方々がその身をもって教えてくださっています。
私がいのちを終えるときに、本当に安心して参ることのできる世界があるならば、今の人生が、確かな計画のある安心した意義ある人生となることでしょう。
世のなかに、大事大事は多けれど、この大事にまさる大事は無し
新年にあたり、今の今、一人ひとりが心得たい大事なことであります。
2017年01月01日【276】