2月1日~亡き人を偲ぶご縁を通して…。
年が明けたと思ったら、一月が一気に過ぎていきました。
さて、昨年末から寒さが厳しかったからでしょうか、例年になくお葬式が多い日々でした。
そして、そこにはそれぞれのご家族の悲しい別れの姿がありました。
お通夜、またお葬式は、かけがえのない人と別れていかなければならない悲しみの場であり、その遺徳を偲びつつ、感謝の思いで勤めるものですが、と同時に、その悲しいお別れを通して、自分自身のいのちを見つめる大切な場でもあります。
私たちは、普段病気をすることもなく、悩みや苦しみがないときは、「人間死んだらおしまい」、「お浄土とか、天国とか、地獄とか、昔の人の作り話だ」などと思いがちですが、実際に、自分のかけがいのない人や、愛する人を失ったとき、本当にそのようなことが言えるでしょうか。他人事と思っているからそう言えるのではないでしょうか。
愛する人は死んだらお終いでしょうか、亡くなったかけがえのない人はどこへ往かれたのでしょうか。加えて、自分自身がいよいよそうなったとき、その一大事をどう受け止めるのでしょうか。
もしかしたら、私たちは「イソップ物語」のクジャクの羽で着飾ったカラスかもしれません。
地面に落ちているクジャクの羽を一枚一枚拾って身につけ、美しく理知的なクジャクのように振る舞って周りを欺くカラスが、突風が吹いたとたんに羽がすべて剥がれて、たちまちもとの真っ黒のカラスに戻ってしまうというお話です。
このカラスは、うすっぺらの知識や世間のわずかばかりの地位名誉、一時的な楽しみばかりの羽で身をまとい、本当の自分のいのちの現実を、本当の姿を見つめることのない人間の愚かな姿です。
無常の突風が吹けば、それらはすべて吹っ飛んで、たちまちそこにはどう飾りようのな
い私のいのちの現実が待ち受けています。
亡き人を偲ぶご縁を通して、自らのいのちを深く見つめましょう。
2013年02月01日【185】