10月16日~ハカルコトできない現実
季節は晩秋、野山の木々は、紅葉そして落ち葉へと次第に変化していきます。
さて先般、東日本大震災の被災地へお見舞いに参りました。津波の被害がとても大きかった宮城県の南三陸町や石巻市に参りましたが、被害の状況やがれきの山は想像を超えるもので、震災より七ヵ月経った今も復興が思うように進んでいない様子でした。
また、福島第一原発の被害を受ける福島県にも参りました。
避難生活を余儀なくされている地域のご住職のお話をお聞きしましたが、ご門徒方も様々な地域に避難し、お寺に住むご住職家族も避難し、しかも、家族が離ればなれに避難せざるを得ないお宅も多く、原発の処理はもとより、放射能の農作物や人間に与える影響など、先行きが見えないことによる不安や苦悩もまた、私たちの想像を超えるものでありました。
地震直後の緊迫した状況もお聞きしましたが、あらためて感じたことは、三月十一日、自らの命や生活が一瞬にして失われるような事態になるとは、誰ひとりとして思っておられなかったということです。
また、そこに居合わしたお一人おひとり、本当に危機一髪、間一髪の差で助かったり、逆に犠牲になられたりと、それは、ハカルコトのできない無常という厳しい現実でありました。
木々の葉は、春風に勢いよく輝き、夏には太陽の光を体全体で受け、秋冬には紅葉し、やがて枯れ葉となります。
人の人生も皆、そのように順を追っていけばよいのですが、そうではない厳しい現実を教えられました。朽ち葉のようにときにはむなしく形壊れるかもしれません。病葉のように、病に倒れるかもしれません。
無常、無常とは、よく聞くことではありますが、日常生活の中で、本当に分かっているかといわれれば、果たしていかがでしょうか。自らのいのちの問題は、その無常の枠からはずして、人ごととして受け止めている私の現実があるのではないでしょうか。
被災地に長く思いをはせるとともに、私のいのちの問題として受け止めたいと思います。
2011年10月17日【154】