12月16日~確かな安心覚えて…
境内にあるイチョウの木、北風に吹かれていま落葉しきりです。
さて、早いもので今年もあと半月となりました。毎年のことですが、今年も多くのご門徒方をお見送りしました。お浄土に参られた方は、ご年配の方、働き盛りの方、お若い方、様々でした。
五百年前、蓮如上人が『御文章』で、「我やさき人やさき、今日とも知らず明日とも知らず、たとえあとに残る者でも、草の葉の先に宿る露がごとくのいのちと言えり」とおっしゃっていますが、人の命のはかなさは今も昔もかわりありません。
先日お亡くなりになったOさんもそうでした。奥さまに先立たれ、ご本人も心臓の病気をお持ちでしたが、いつもお寺にお参りになって声高らかにお念仏をお称えになる方でした。
しばらくお姿が見えないが…と思っていましたら、今年の夏頃から体調を壊し入院。術後の様態が思わしくなく、残念なことに、先般お亡くなりになりました。お葬式を勤めしましたが、お勤めの途中、生前のOさんの言葉が次々に思い起こされました。
「わしには神様はいらん、阿弥陀さんだけおってくださったらええ」、「わしは親鸞さまが大好きや」、「お浄土に参って母ちゃんとまた会いたかな」。ご法座が終わったあと、本堂でお茶を飲みながら、いつもこう話されていました。
本堂のお内陣の仏具を進納していただきましたが、「母ちゃんがおるお浄土がもっときれいになったらええな」と、手を合わせておっしゃっていました。
Oさんが亡くなったことはまことに寂しいことですが、その言葉を思い起こすとき、きっと今、阿弥陀様のお浄土に往き生まれて、大好きだった親鸞さま、奥さまと共に如来様のお心をいただいておられるだろうと、確かな安心を覚えるのです。
Oさんのおだやかなお念仏の声が、今でも私の耳の中で響いています。
今年も覚照寺「心の電話」をお聞きくださって有り難うございました。
2010年12月09日【134】