6月1日~人間は生老病死じゃな。
数年前から栽培しているオモトが、勢いよく葉を伸ばし始めました。
さて、先日、鹿児島市内の西本願寺別院にお仕事で行ったときのことです。
私が別院に勤務していたころから、いつもお寺参りをよくされていた仏教婦人のKさんと偶然お会いし、久しぶりにお話をしました。
「実は、二ヵ月前に主人が亡くなりました。主人の病気で大変痛い思いをしました。
しかし、私は苦しむ主人の手を握っていつも、『お父さん、人は生老病死よ。生老病死よ」と、お寺でお聞きしたことをそのまま話しかけていました。
主人は、苦しい中にありながらも、『そうじゃな、人間は生老病死じゃな、そうじゃな』と応えてくれていました。
病状がさらに悪化し、いよいよ主人とお別れが近づいてきました。
私は主人の手を握って、『お父さん、長い間ご苦労さまでした。お世話になりました。お父さんは死ぬんじゃないのよ。阿弥陀さまのお浄土に生まれるのよ。私ももうすぐ参りますから、また会いましょうね』と問いかけると、主人は、『また必ず会おうな。先に往って待ってるよ』と微笑み、やがて息を引き取りました。
私は本当にお寺にご縁があってよかったです。私には、また主人と必ず会える世界があるのですから。私と主人には阿弥陀さまというすばらしい仏さまいらっしゃるのですから…」と、Kさんは、おっしゃいました。
仏さまの教えは、人間のいのちの現実を直視することから始まります。すなわち、この世に生を得たものは、老い、病い、死の苦しみを皆等しく抱えているという現実です。
そのすべての苦しみを見通して、阿弥陀如来という仏さまは、私たちを必ず救わんとお浄土という世界を建立され、いつでもどこでも休むことなくはたらき続けていてくださるのです。
Kさんの目は、その教えを心の奥底からいただいた安心に満ちた目をされていました。
2009年06月01日【97】