4月1日~目が覚めたら生きていた
桜の花が散るときは一斉に、お寺の境内は連日桜吹雪です。
さて、今テレビで一番人気がある司会者は、皆さんご存じのみのもんたさんです。
歯に衣着せぬ発言や他者に厳しい批判を展開する司会者として有名ですが、そのスタイルがうけて、出演する番組は常に高視聴率を得ています。
一日睡眠時間が約三時間の超多忙。今や司会者として不動の地位を築いたみのさんが、いつも大切にしている言葉があるそうです。
「朝が来た 新しい朝が来た 自分のための新しい朝だ」という言葉です。
この言葉は、みのさんが大学を卒業しアナウンサーとして放送会社に入社したものの、それほど際立った評価を得ることができず、いったんお父さんが経営する会社に勤め、アナウンサーの仕事を続けるか、その会社を継ぐか不安定なときに、お父さまがみのさんに対しておっしゃった言葉です。
「おい、お前はどうしたんだ。ほら今日も朝が来たぞ、また新しい朝が来たんだぞ。お前のために朝が来たんじゃないか。粗末にしたらもったいないぞ」
みのさんは、その言葉を聞いて一念発起して再び放送界で頑張ることを決め、それ以来毎日大切にしている言葉だと、先日テレビでおっしゃっていました。
私はこの言葉を聞いて、浄土真宗の僧侶で生涯を「いのちの教育」に捧げられた東井義雄先生の、「朝、目が覚めたら生きていた。今日も生かされていた」という言葉を思い出しました。
朝目が覚めたら生きていたという不思議。もしかしたらこのまま目が覚めなかったかもしれない。そのいのちが今朝もまた生かされていたという感動。その不思議と感動を深く味わうところに、また今日も新しい朝が来た、自分のための新しい朝だという思いがわいてくるのではないでしょうか。
東井先生はほかにも、「最高に不思議なもの いのち それが今ここにある」など、「いのちのただごとでなさ」を伝える数多くの言葉を残しておられます。 これらの不思議と感動は、日々仏さまに手を合わせ、仏法を聞き重ねるところに開かれる世界であります。
2009年03月30日【93】