11月16日~ 人生列車はあなたも私も…
晩秋となりました。鹿児島の浄土真宗のお寺では、一斉に報恩講法要が始まります。
さて、国民的代表作家といわれた吉川英治さんの作品に、「人生列車」という詩があります。
「発車駅の東京駅も知らず、横浜駅も覚えがない、丹那トンネルを過ぎた頃に薄目をあき、静岡辺で突然「乗っていること」に気づく、そして名古屋の五分間停車ぐらいから、ガラス越しの社会へきょろきょろし初め、『この列車はどこへ行くのか』と慌て出す。もしそういうお客さんが一人居たとしたら、辺りの乗客は吹き出すに極っている。無知を憐れむにちがいない。ところが人生列車は、全部の乗客がそれなのだ」という詩です。
「発車駅の東京も知らず」とは、人が生まれたときのことで誰も記憶はありません。「横浜駅も覚えがない」とは幼年期、これも人生という意識はありません。「丹那トンネルを過ぎた頃」とは義務教育時代で、人生やいのちの問題にかすかに気付く。そして、「静岡あたり」とは青年期から壮年期にかけて突然、人生という列車に乗っていることに気付くということです。
その乗客は、名古屋の五分停車で、「自分が生まれてきた目的は何だったのか」、「一度きりの人生をどう生きるのか」、「自分のこのいのちはやがてどこへ行くのか」という問題に突き当たり慌て出します。
「せっかくいままで乗ってきたのに、目的も行き先もわからない」と慌てる乗客を、周りのお客さんは見て吹き出します。そして憐れむことでしょう。
でも、人生列車はあなたも私も、全部の乗客がそれなのだ、という意味の詩です。
「自分が生まれてきた目的は何でしょうか」、「一度きりの人生をどう生きればよいのでしょうか」、そして「私のこのいのちはどこへ向かうのでしょうか」。
報恩講法要は、浄土真宗の本願念仏の教えを示された宗祖・親鸞聖人のご遺徳を偲ぶ一年で最も重要な法要ですが、それと同時に、この人生の問題を、お寺にご縁のある一人ひとりが私のこととして、聞きひらく大切な法要なのです。
2007年11月16日【60】