10月1日~人間成就最後の姿は…
今月に入り、覚照寺では、いよいよ納骨堂の『第二偲恩堂』の建築に入ります。
十月一日に、お寺の役員や工事関係者が集まって起工式を行い、それからスタートします。
起工式では、阿弥陀如来を工事現場の中心に安置し、一人ひとりがお焼香をして、この度の工事に携わることを仏さまに感謝するとともに、安全に気をつけて、立派な納骨堂を建築することを誓います。地鎮祭とは全く意味合いが違います。
きっと、ご門徒の方々に喜んでいただける立派な納骨堂ができることでしょう。 さて、元検事総長で、昭和六十三年に腸がんで亡くなられた伊藤栄樹さんという方が、がんとの闘病を記された、『人は死ねばゴミになる』という本があります。
しかし、これについて、北海道のお寺の奥さまで、同じくがんとの闘病の末に亡くなられた鈴木章子さんが、こうおっしゃっておられます。
「伊藤栄樹様、『人間死ねばゴミになる』、残された子に残された妻に、ゴミを拝めというのですか。あなたにとりまして、亡くなられたお父上お母上も、ゴミだったのですか。人間死ねば仏になる。この一点、人間成就の最後のピークでしたのに、自分がただの粗大ゴミとして逝ったのですね。未完成のままに」。
そして、鈴木さんは、「よく新聞などで有名人が亡くなると、『がんに負けた』といいますが、死が負けであるなら、生きとし生けるものすべて敗者であろうかと思います」ともおっしゃっています。
鈴木さんは、人間の現実と、仏さまの真実のみ教えを真正面から受け止めて、人間は死んでゴミなどになるのではない。仏さまになるのだと断言されています。
私たちは毎日、言葉や行動、また心の動きによって生活をしています。生まれてから死ぬまで何億の行為をするでしょうか。その一つ一つの行為が、仏さまになるものとして値するかどうか、ふり返ってみましょう。その結果、伊藤さんは、粗大ゴミになられたのでしょうか。
覚照寺の『第二偲恩堂』では、仏さまになる人生を歩まれた方々を偲ぶ、大切なお骨を安置するのです。
2007年10月01日【57】