6月1日~本堂の逆さに彫ってある花は…
南の夜空に白く輝く真珠星が見える季節です。乙女座の一等星・スピカと言います。
さて、浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、大きなお寺の立派な高僧として過ごされたのではなく、どれほど頑張ってみても、自らの力では完全な悟りを得ることができない私たちが、阿弥陀仏の本願力によって皆、平等に救われていくことをお説きくださいました。
先日読んだ本多昭人先生の『ふたたび出会う世界があるから』(本願寺出版社)という本の中に、本多先生と先生のお寺を訪れたあるご婦人のお話がありました。
そのご婦人は、本堂の美しい花の彫刻が施してある欄間を指して、自分の所属するお寺にも、本多先生のお寺にも、逆さに彫ってある花があることを話されたそうです。
お浄土の美しい様子を表現したお寺の欄間であれば、皆正面を向いて、きれいで立派に咲く花ばかりでいいはずです。ところが確かに、その中に逆さに裏を向けて咲く花があるのです。
その逆さ向きの花は、何事にも完全なものはないということを表しているそうです。しかし、不完全でも、不出来でも、未熟でも、阿弥陀さまのご本願は必ず平等にお救いくださることを、その逆さ向きの花は表しているそうです。
本多先生も初めて知ったと書いておられますが、私もこれまで知りませんでした。
しかし、そのことを知ってから毎朝、本堂でお勤めしますと、欄間の見方や味わい方が変わってきました。
自分自身はいつもあの凜と美しく正面を向いて咲く花だろうか。縁があれば、怒りや腹立ち、妬みや嫉みが心に湧いて、すねて裏ばかりみせている花の方ではなかろうか。そう思ったときに、そのような私を見捨てないと誓われた阿弥陀さまのご本願の有り難さが心に染みてくる気がしました。
どうぞ、今度お寺にお参りになった時に、ぜひ欄間をゆっくり見て下さい。見方、味わい方はあなたの自由です。
2020年06月01日【358】