3月16日~いつでもどんな時でも…
お彼岸法要で毎日忙しくしていましたら、十六日にご法話を変更することをすっかり忘れていました。申し訳ありません。
さて、三月十一日は、東日本大震災から丸七年で、お寺でも鐘をたたきお勤めをさせていただきました。
死者、行方不明者が一八〇〇〇人以上の未曾有の大災害。多くの方々が家族を失い、家を失い、大変辛い思いをされ、それは今もなお続いています。
その年の夏、甲子園野球に福島県の選手たちが出場した時のことを、偶然読んだ本で知りました。
惜しくも二回戦で敗退した選手たちは、「このような状況のなかで、甲子園でプレーができた僕たちは本当に幸せでした」と、涙ながらに話をしていたそうです。
応援していた福島県の方々も、「感動をありがとう。幸せです。選手たちに元気をもらいました」と話しておられたそうです。
その年の三月、言葉では表せぬほどの辛い思いをされた福島の方々が、選手たちの精いっぱいのプレーを見て、「幸せだ」とおっしゃっていたのです。
「幸せ」とは何でしょう。お金があって、立派な家に住んでいる人でも、不満だらけの人はたくさんいます。逆に慎ましい生活をされている人でも、幸せな気持ちのなかで過ごされている人もいます。
その本には、野球選手たちに言われた「有り難う」の大切さが書いてありました。つまり「有り難う」と感謝の思いを忘れず、素直にそれが言えることです。
「幸せ」という漢字の、横棒一本とれば「辛い」という字になりますが、その横棒一本こそが「有り難う、おかげさま」の感謝の心です。
生きているかぎり、私たちの身にはどのようなことが起こるか分かりません。
しかし、いつでもどのような時でも、「有り難う、おかげさま」の感謝の心を忘れない。福島の皆さんはその大切さを教えて下さいました。有り難うございます。
2018年03月24日【305】