11月16日~“アホ”の自覚を…。
季節はいよいよ晩秋、京都の山々は紅く染まっています。
さて先般、朝日新聞の天声人語に、私たちの世界には、「ジェボンズの逆説」というものがあると書かれていました。
イギリスの経済学者ジェボンズが唱えたもので、技術の進歩によって資源の利用の効率がよくなったのにもかかわらず、資源の消費量は減らずに、むしろ増加してしまうという逆説のことです。
つまり、健康のためにニコチンの低いたばこに変えたのにもかかわらず、つい吸い過ぎてかえって量が増えてしまった。ダイエットのために、低カロリーの食事で過ごしていたのに、安心してもうちょっとだけと、つい食べ過ぎてかえって太ってしまった。などなど、自分の周囲でもこのようなことはよくあることです。
新聞には、ケータイが発達したのに、逆に運転中のケータイによって事故が多発する。
自動操縦などの技術を駆使した旅客機でも、人為的なミスで事故が起きてしまうことなども紹介されていました。
世の中のあらゆるものが便利、簡単になって、私たちの生活はより豊かになったはずなのに、実はそうならずに、かえって新たな悩みや苦しみが増えていってしまう。なぜでしょうか。
仏教的に言えば、人は皆「凡夫」であるということでしょう。
作家の阿満利麿さんは、「凡夫」とは、自分の欲に縛られて、しなくてもよいことまでしてしまう愚かさ。賢く振る舞っていても、どこか抜けている生き方。「わかっちやいるけどやめられない」という意思の弱さ。煩悩から離れられない存在。関西風に言えば、どうしようもない「アホ」ということだと言われます。
「アホ」と言われれば人間腹が立ちますが、自らの日常を冷静に省みれば、否定できないことが多々あるのではないでしょうか。
親鸞様は、自分自身が凡夫であるという自覚が大切ですと諭されます。平たく言えばアホの自覚です。なかなかハイと頷けませんが、それこそがアホの実態なのです。
2012年11月29日【180】