4月16日~火宅無常の厳しさ、はかなさを…
春風に境内の桜の花もすべて散ってしまいました。
さて、京都・西本願寺では四月九日、いよいよ「親鸞聖人七五〇回大遠忌法要」がスタートしました。
私もお参りさせていただきましたが、美しくお荘厳された御影堂には、全国よりあふれんばかりのご門徒方が参集し、およそ百八十人の出勤僧侶方により、厳かに勤まりました。
法要の後、御門主様はご挨拶の中で、まずこの度の大震災で犠牲になられた方々に哀悼の意を表されました。
そして、この法要は、「私が、聖人のお勧めによってご本願、念仏に生きることの意味を確かめ、身を引き締めておつとめし、この思いを持って御恩報謝の生活に励むことが大切です」と、私たち一人ひとりがこのご法要に遇う意義を述べられました。
そして、お師匠である法然上人との出遇いによって、親鸞聖人にお念仏の道が開かれたことに触れられ、「私たちには、『親鸞聖人いまさずは』と置き換えられるのではないでしょうか。煩悩愚足の迷いの人生を歩む私が、宗祖にあうこと、仏法にあうこと、そしてご本願を信じ念仏申す身になることです」とお諭しくださいました。
この世は火宅無常の世界です。火宅とは火の家と書きますが、この世のことはすべて空言、戯言で、真実はない。そしていつどうなるかわからない不確かな世の中ということです。
この度の大震災によって、私たちはその火宅無常の厳しさ、はかなさを知らされました。決して人ごととして切り離すのではなく、私たち一人ひとりのいのちの問題として受け止めることが大切です。
御門主様は、「被災地支援の思いと共に、南無阿弥陀仏とお念仏申して、精いっぱい過ごさせていただきましょう」と述べられました。
2011年04月16日【142】