3月1日~手伝ってやろうか。
今年もお寺の中庭になる岩ツツジが、鮮やかな紫の花を咲かそうと、たくさんのつぼみを抱えています。
さて、ある中小企業の社長さんが、懇話会の席で話された「幼い頃の思い出」を紹介します。
私が小学生の頃、夏休みの宿題をしているときです。母は、風呂の水くみをしていました。当時の風呂は五右衛門風呂で、水道がない時代ですから、井戸から何回も水を汲んで風呂まで運ばなければなりません。女性にとっては大変重労働です。
そこで私は、母に「母さん、手伝ってやろうか」と言いました。
すると、私の母は「いらん」と一言、そっけない返事でした。
その後、風呂の水くみを終えた母は、私に言いました。
「おまえはさっき母さんに、『母さん、手伝ってやろうか』と言ったね。母さんはおまえが、『母さん、手伝わせて下さい』と言ってくれたらどれほどうれしかったか。『手伝ってやろうか』というような気持ちで母さんは手伝ってほしくなどなかったから、母さんは『いらん』と言ったんだよ」
あの時、私の母は、私に大事なことを教えてくれました。あの時母が教えてくれたのが、仏教の布施の心だったのですね。還暦を過ぎた今になって、ようやく母が教えてくれたことがしみじみと有り難く感じます。
小学校しか出ていない母でしたが、昔の日本人は、人生で大切なことをたくさん知っていました。偉かったですね。
このお母さんが教えられたとおり、仏教の布施の心とは、相手がかわいそうだから、困っているから、大変だから、助けてやる、してやる…というものではありません。
「してやった」、「助けてやった」という心には、必ず「いいことをした」、「感謝してほしい」「お礼を言ってほしい」という心がわいてきます。それでは、布施にはなりません。
「手伝わせて下さい」。我がはからいの心を捨てて自ら進んでさせていただく。これが本当の布施の心です。
(参考・仏教法話大辞典)
2010年02月28日【115】