8月16日~今生で別れはあろうとも…
今年も覚照寺の初盆法要には、たくさんのご門徒方がお参り下さいました。
さて、今年のお盆は、私にとっていつになくさみしいお盆になりました。
それは、今月初旬、長年ご指導いただき、また親しくおつき合いさせていただいたお寺のご住職・M先生がお亡くなりになったからです。
M先生は、日ごろからとても元気な方で、人望も厚く、お寺の住職はもとより、西本願寺の要職もお勤めになっていらっしゃいました。
一昨年の秋頃、体に癌が発見され、最悪余命三ヵ月と宣告されます。
それより、奥さまやご家族のお世話のもと、闘病生活が始まりました。とはいえ、様々な要職をお持ちでしたので、それらを務めながらの闘病です。
私は、時折お会いしていましたが、次第に痩せていく体を見ながらただただ心配することしかできませんでした。逆にM先生は、お会いするたびに、いつもお坊さんとしての務めを熱心にお話になりました。
先月中旬頃より様態がさらに悪化し、病院のベットに横になる日が多くなりました。私がお見舞いに行くと、既に身体はお元気な頃の半分以下になっておられました。M先生はそのような状態にありながらも、起き上がり声を振り絞って、「西本願寺をさらに人々の悩みや苦しみにこたえられるお寺にしなければ…」と、僧侶としての責務を一生懸命お話になり、私はそのお姿にただただ心から敬服するばかりでした。
今月初旬、私がお見舞いに行った翌日にM先生は、お浄土に往生されました。余命三ヵ月の宣告からおおよそ二年近く経っていました。大病の中にありながらもそれほどいのちを保たれたのは、奥さまやご家族の献身的なお世話、そしてM先生の僧侶としての責任感・使命感ではなかったかと思います。
とても気さくで親しみやすく、笑顔がすてきなお坊さんでした。お経の中に、お念仏をいただくものは、今生で別れはあろうとも、また必ず阿弥陀如来のお浄土で会うことができると誓われています。その「倶会一処」のお言葉を深く頂きたいと思います。
2009年08月16日【102】