6月16日~お通夜とお葬儀はどう違う?
いよいよ梅雨に入りました。雨は必要ですが降りすぎも困ります。
さて先日、友人が「今日、職場の同僚のお父さんが亡くなったのだけど、今日の通夜に行こうか、明日の葬儀に行こうか、どっちにお参りしようかな」と話していました。
どうやら、友人にとってはお通夜もお葬儀も、亡くなった人を弔う同じような式と思っているようです。
しかしお通夜とお葬儀は本来その意味が異なります。お通夜は一言で言えば語らいの場であり、亡くなった方を、まだ生きておられる方として、家族をはじめ故人と親しき方々が最後の夜を通して、感謝の思いの中でお話をさせていただく場です。楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、辛かったことなど一つ一つ、故人の遺徳を偲びつつお話をさせていただく。ですからお通夜は元来夜伽(よとぎ)と言いました。
お葬儀は、一般的には、亡くなった方との今生でのお別れの式です。 親しい方との別れは本当に悲しく辛いものです。特に急なお別れは言葉には表すことはできません。しかし、その親しい方の死を前にして、たった一日二日の間に、私たちは今生での別れを告げなければならない現実に迫られます。お葬儀は、一般的には、今生での別れという、きびしい心のけじめをつけねばならない式と言えます。
しかし、浄土真宗の信仰に基づく葬儀はその一般的な意味合いだけには終わりません。お葬儀の会場の中心には必ず阿弥陀如来がいらっしゃいます。故人が往生された阿弥陀さまのお浄土は再び倶に会える世界と説かれています。さらに、亡くなった方は、阿弥陀さまのお力によって光り輝く仏さまとなって、すぐさま縁ある人々のもとへ還って来てくださると説かれています。浄土真宗のお葬儀は、故人への感謝とともに、その教えを受け止めていく場でもあるのです。
今はほぼ一〇〇パーセント、葬儀会館で行われるようになった通夜と葬儀ですが、その意味合いだけは心にとどめて、お参りをさせていただきたいと思います。
2022年06月16日【406】