2006年1月15日
二〇〇六年が明けて半月、東北地方の大雪や仙台市の赤ちゃんの誘拐事件、大阪堺市では母子の強盗殺傷事件など、今年は大変な幕開けとなりましたが、そういう中にあって、安否が心配された柊羽ちゃんが助かったのには、胸をなで下ろす思いでした。
さて昨年末、教育関係の研修会である先生の講演をお聞きしました。その先生によると、日本では年々子どもの虐待が増加し、大変危惧される事態になっているとのことでした。
虐待にもいろいろあって、ける、つねる、なぐる、かむ、しばる、火を押しつける、水につけるなどの暴力。性的ないたづらをするもの。ごはんを食べさせない、衣服をかえない、医者にみせない、家に入れない、家に閉じ込める。また子どもの存在を無視したり、おびえさせたり、ば声をあびせたりすることなど、様々です。
注意したいのは、虐待をする親の約八割が、実は本人も親からそのような虐待を受けた経験があるということで、それが心と体に深い傷跡を残し、やがて無意識のうちに、自分の子どもにも同じようなことをしてしまうということです。
講演をお聞きしながら、幼稚園や保育園で子どもをお預かりする立場の者として、そのような家庭がないように努力しなければと深く思いました。
と同時に思ったのは、先ほどのご講師のお話を、自分自身に置き換えるとどうかということです。つまり今、私自身が子どもに虐待をしない。逆に、子どもの成長を喜び、子育てを有り難く感じることが出来るのは、決して自分の力だけではないということです。
虐待をしてしまう多くの親の原因が、自分も同じ事をされて育ったということは、言い換えれば、自分が虐待をしない。それどころか、子育てに喜びや感謝の思いを持ち、子どもとともに手を合わす生活ができるということは、私の力だけでなく、親をはじめ多くの方々からのお育ての賜ではないかということです。
自分自身をお育て頂いた多くの方々に深い感謝を思うと同時に、だからこそ、虐待のない社会にしなければ…と強い責任を感じることでした。
2006年01月15日【2】