2月16日~差別の心、知らず知らずに…
雨水の季節、あたたかさに雪が溶けて雨になる時期です。
さて、仏法をお聴聞することによって得られる功徳に、自らの差別心に気づかされるということがあります。
差別の心とは、誤った価値観によって他のものに差をつけて取り扱ったり、正しい知識を持たないが故に、理由なく自分より劣ったものとして見たり、接したりすることをいいます。
数年前のことです。鹿児島市内の山の上にある高級ホテルで知人の結婚式があり、私はタクシーでそのホテルに向かいました。
ちょうどその日は大安ということもあり、結婚式の多い日でした。
タクシーの運転手さんが私に言いました。「今日は結婚式が多いです。先ほども結婚式のお客さんでした。でもさっきは島の人で、下のホテルでしたけど…」
何気ない会話でしたが、よく聞くと、「さっきは島の人で下のホテル」ということは、「今は山の上のホテルを目指しているので島の人ではない」ということになります。そして、鹿児島県にはたくさんの離島がありますので、多分、その方々を指して「島の人」と言い、その島の人は、上の高級ホテルではなく、下のホテルを利用するのが当然だという意味で話されたようです。
私は、その言葉に強い憤りを感じ、「運転手さん、そんなことを言っちゃいけないですよ。島の人であろうがなかろうが、どこの人であろうが、上も下もないですよ」と、言いました。
その後、ホテルに着くまで、タクシーの中は重苦しい雰囲気が続きました。
しかし、この運転手さんだけではありません。この私も含めて、人間の心の中には、自分とは違うと誤った思いを持ったときに、差別の心が知らず知らずのうちにわいてきます。
仏さまは、「そのようなあなたでいいのですか」と、いつも智恵のまなざしで厳しく見つめ、問いかけてくださいます。
2011年02月17日【138】