4月15日~非戦平和の誓いを今…。
春風に桜の葉が境内を舞っています。
さて、先月の二十八日、本願寺沖縄別院の全戦没者追悼法要にお参りをするご縁をいただき、そのご法要の記念講演として、戦争体験者の仲程シゲさんのお話を聴講いたしました。
仲程さんが沖縄戦を体験したのは六十二年前、十六歳で中学一年生の時。米軍が沖縄に上陸し攻めてくる中で、家族親戚十一人で必死で逃げたそうです。
米軍に捕まると男性は虐殺され、女性は強姦されるとの噂が飛び交う中、隠れ潜んだ濠の中で、親せきの叔父さんが、日本人としてそのような辱めを受けるのならいっそ皆で自決しようと、手榴弾で自爆をしようとされたそうです。
しかし、その寸前にシゲさんのお母さんが、「なぜ、戦争でこの五人の子どもたちを殺さにゃいかんのか」と必死に訴えました。それで叔父さんは集団自決を思いとどまったそうです。
残念なことに、その叔父さんもまたおばさんも、逃げる途中で次から次に亡くなって行かれました。
ある日、逃げ惑う日本の民間人と日本兵数名が集まったとき、若い青年がふんどし一枚の姿で、「これ以上もう逃げられない。この姿になって投降すれば米軍は何も危害を加えたりしない。皆、この姿になってもう投降しよう」と勧めたそうです。
すると途端に、近くにいた日本兵がその青年の首を日本刀ではねたそうです。シゲさんの目には、今でもそのすさまじい光景が焼き付いているそうです。
様々な体験をお話しされる中で、シゲさんは、「戦争は自然に起きたりなんかしません。起こす人がいるから起きるんです」とおっしゃいました。そして、「あの時、母が自決を止めなかったら、私たちは皆死んでいたでしょう。母のお陰で、私は今、このようにして皆さんに平和の尊さを訴えることができるのです」ともおっしゃいました。
「非戦平和」の尊さをあらためて教えていただいた貴重な日となりました。
2010年03月31日【117】