2010年1月1日~何がおきても不思議ではない
あけましておめでとうございます。二〇一〇年・平成二十二年の年明けです。 覚照寺では一月一日元旦の朝、年が明けて最初の法要「修正会」をたくさんのご門徒方とともに勤めました。 今年も「心の電話」をよろしくお願い致します。
さて、先日読んだ本の中に、「戦後家庭の中で、大きくなったものはテレビである。逆に小さくなったもの、また無くなってしまったものがお仏壇である」とありました。
テレビは、正しいこと誤ったことを含めありとあらゆる情報を提供してくれますが、人はそれを一番大切にして、逆にお仏さまを敬い大切にする生活が薄れつつあるということでしょうか。
一昔前までは、家の中でお仏壇を中心にした生活が、日本のどこにでもありました。他人の家を訪問したときはまずお仏壇にお参りしてから、会話をはじめました。毎日ご飯をいただく前には必ずお仏壇にお参りしてからいただきました。人様から頂き物をしたときは、御仏壇にお供えしてから封を開けました。家族間の大事な話をするときは仏間で必ず行いました。
これは、すべて何事も仏さまを中心にした生活を送るということで、私たち一人ひとりのいのちが、ありとあらゆるいのちとつながり、生かされているということに気づかされ、それを確かに受けとめていくことが形に表れたものです。
もっと簡単に言うと、お仏壇の前に座り手を合わすということは、「人間は自分一人で生きているのではない」ということを体と心で受けとめていくということです。そして、さらには人として生まれたものは、決して周囲の人たちの信頼を裏切ってはならないという、人間としての責任が生まれてくるのです。
「世の中からお仏壇がなくなると、何がおきても不思議ではない」と先人は諭されます。今年一年また、お仏壇を中心にした生活を送りましょう。
2009年12月30日【111】