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仏事Q&A

構成を変更し、仏事Q&Aを更に充実させました。

新しい「仏事Q&A」はこちらです。

「お盆」とは、どのような行事なのですか?

 今年も「お盆」の季節が近づいてきました。お盆には帰省して、お墓のお掃除をしてご先祖に感謝のお参り、わが家のお仏壇もお掃除・お供えをして…と、これらを行うことがお盆だと思われている方も多いことでしょう。しかし、お盆という行事には意味があることをご存じでしょうか。
 お盆は、『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』というお経による行事で、お釈迦さまのお弟子の目連尊者(もくれんそんじゃ)が、修行で体得した力で、既に亡くなった母親の世界を探しました。すると、餓鬼道に堕ちて苦しむ母親の姿が見えました。餓鬼道とは我欲とむさぼりの心のとがを表す世界で、とりこむことばかり考えて、人に施すことを知らず、人の痛みがわからないものが堕ちる世界です。
 目連は自分の力ではどうすること出来ず、お釈迦さまのもとへ救いを求めに行きます。お釈迦さまは救いを求める目連に、「母親は、子どもを育てるときに自らのいのちよりも尊いものとして愛情を注いで育てる。しかし、わが子に注ぐ愛情を他の子どもにも注いでいけるかといえばそうはいかない。何よりもわが子を優先して物事を考えるのが母親である。わけへだてせずにはおれない、罪を作りながら子育てをせざるを得ないのが母親の業である」ことを諭され、お坊さん方が夏の厳しい修行を終える日(陰暦の7月15日)に「ご供養・施しをしなさい」と勧められました。人間が我欲から離れるためには、施しが最勝の行いであることを諭されたのです。
 目連はその通りに精一杯の施しを行い、母親は餓鬼の世界から仏さまの世界に救われ、その姿を見て目連が踊るように喜んだ姿が「盆おどり」の由来と伝えられます。
 つまり、お盆とは、既に仏さまとなられたご先祖に感謝するとともに、日々我欲にとらわれギスギスした生活を送りがちな私たちが、仏さまの願いを聞き、仏さまのお心をいただく日なのです。
 なお、お仏壇はきれいにお掃除をして、季節の果物やお菓子をお供えしてください。また、浄土真宗では精霊棚や迎え火送り火などは行う必要はありません。

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ご法事を併せて勤めていいのでしょうか?

 お葬儀のあと、ごく稀に、「初七日のご法事と併せて、四十九日満中陰も勤めていただけないでしょうか」と、おっしゃるご遺族があります。よほどお忙しいのでしょうか。それに対して、「わかりました。満中陰と言わずいっそのこと初盆も、一周忌も、なんなら三回忌くらいまで併せてお勤めしたら…」と申し上げると、「いや、そこまでは…」と躊躇されます。
 ご法事は、お浄土に往生された方を心から偲び、そのご恩に感謝し、あとに残る者が仏さまのみ教えをいただく大切な仏事です。返答は少し意地悪だったかもしれませんが、ご法事を併せて勤めるというのは、仏さまのことよりも、私たち人間の都合で物事を考えていることに他なりません。ですから、ご法事は定められた日に、その都度勤めるのがよいのです。
 しかし、「今年四月は父の五十回忌、九月は姉の七回忌になります。年に二回もご法事の案内状を親戚に出して、出欠を取って、会食のための予約をして…。費用もかかりますし、親戚にも心苦しくてどうしたら…」というような場合があります。
 先ほど申しましたように、それぞれに勤めるのが理想なのですが、おっしゃる通り、親戚には会社勤務の方もいらしたり、遠方の方もおられることを考慮すると、常識の範囲で併せて勤めても止むを得ないことでしょう。
 覚照寺では、年に二つのご法事が重なった場合、どちらかのご命日に併せてご法事を執り行い、併せて勤めた方の本当のご命日には、親しいご家族だけで、お寺であらためて勤めるようにお勧めしています。
 人間の都合で仏事を略することは容易いことですが、それは自分の一度きりしかないいのちを見つめる機会を略することにつながるからです。

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「法名」「戒名」いったいどっち?

 ご門徒がよくおっしゃいます。「家のお父さんの戒名は?いや法名は?どっちだっけ?」。ご家族のお葬儀を迎えたときに、初めて注目するのが戒名や法名です。
 戒名とは、戒律に生きる人の名前のことで、戒律とは仏教徒として立派に生きるための規律のことです。したがって、浄土真宗では同じ仏教であっても戒律を守り生きる教えではありませんから、戒名とは言わず「法名」といいます。
 法名とは、法に生きる人の名前のことで、法とはむずかしくきびしい戒律を守ることの出来ないわたしを必ず救うと常に願い、働きかけてくださる阿弥陀如来の教えのことです。 法名は、「釈○○」(お寺によっては釈尼○○と女性に尼をつける場合もあります)と決まっていて、それ以外に文字はつけません。地域や他宗のお寺によっては、名前が長い方が徳が高いとか、仏さまの世界でよい地位につけるなどと言われるところもありますが、浄土真宗では「釈○○」と二文字だけです。
 なぜなら、仏さまの世界はみな平等で、この世の財産とか、地位とか、名誉とか、一切通用しないと、お釈迦さまがお経の中で諭されているからです。
 ですからその平等のお心を説いてくださったお釈迦さまのお弟子となられた証として、法名にお釈迦さまの「釈」の一文字を冠するのです。
 法名は、亡くなったときにいただくと思われている方が多いようですが、生きているうちに仏弟子としていただくのが本来の姿です。京都の西本願寺やお寺の大きな法要や行事の時に、おかみそりの儀式(帰敬式)を受けて仏弟子となった証として法名をいただくのです。お葬式の場で、住職がその儀式を行い法名をつけるのは、生前そのご縁がなかった方のみ西本願寺のご門主に代わって住職がつける緊急の対応です。
 おかみそり(帰敬式)については、所属のお寺にご相談下さい。

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法事の日を遅らせてはいけませんか?

 最近のご法事の傾向の一つに、日曜日に日をよせてされるご家庭が多くなったということがあります。会社勤めや遠方からのお参りを考慮してのことでしょう。
 それは決して悪いことではありませんが、しかし“当然のこと”として考えても困ります。やはりご法事は祥月命日、つまりお亡くなりになった月日が同じ日に勤めるのが本来の姿だからです。
 しかし、ご法事には大切な意味があります。それは“今は亡き人を偲びつつ、あとに残る縁ある人たちがお経をいただき、仏さまの教えとお心を頂く”ということです。この意味から考えると、亡き方とご縁のあった方々が、なるべく集まりやすい日に設定することも大切なことです。
 ただ、人間は不確かなもので、身近な人のご法事も一周忌や三回忌までは忘れることはありませんが、二十五回忌くらいになると、「あれ、今年だったっけ、いや来年だったかも…」ということもあるようです。
 一般に「法事を早く行うのはいいが、遅らせてはいけない」というのは、うっかりしてご法事を行うのが遅れないよう、早めに考えるように戒めとして、事前注意として昔の方々がおっしゃったことです。ですから、ご家族の方が、先ほどのご法事の大切な意味をお分かりであれば、若干早めても、遅らせてもかまいません。
 またそのことで、ご先祖が立腹されて祟るとか、罰が当てるというようなことも一切ありません。ご法事の日程を少々ずらしたくらいで怒るような心の狭い仏さまは、仏さまではありません。仏さまのお心は、わたしたちにははかり知ることができないほど広大で深いものです。
 なるべく祥月命日を中心にして、ご縁ありし方々が参集しやすい日を選んで、ゆっくりと故人を偲び、仏さまのみ教えを聞く…ご法事の基本です。 

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お仏壇の中に仏さまがいっぱい・・・いいのかな?

 ご法事でご門徒のお宅に参りますと、時折お仏壇の中に大きな大仏様のお像があったり、なにやら他宗のお坊様のお像があったりします。また、中には神社のお札がおいてあるところもあります。
 「ここのお仏壇は何やらいろいろいらっしゃいますね」と問うと、「親戚からおみやげでいただいたものですから・・・」「旅行に行ったとき記念で求めたので・・・」とお答えになります。人様からいただいたり、またご自身で記念に求められたりしたものですが、いざわが家での置く場所を考えると、お仏壇ということになってしまうのでしょう。また、「不要だ」と思ってもそういう宗教的なものにはやや畏怖を感じたりして、結果的に捨てることもできず、置き場所はお仏壇になってしまうのでしょう。
 お土産に買ってきてくださった方の親切な思いはとても大切にしなければなりませんし、それに対する感謝の心も忘れてはいけません。ご自身で求められたことも、記念として大切にしなければいけませんが、それらを安易にお仏壇に・・・となると少し困ります。
 お仏壇は、浄土真宗の仏さまである阿弥陀如来のお浄土の世界です。私たちのご先祖が往生した世界を形に表したものだからです。お浄土の仏さまは、生きとし生けるすべてのものを救う阿弥陀如来とお経にはっきりと示してあり、その世界に大仏様やいろんなお像を持ち込むことは阿弥陀如来を粗略にすることにつながります。
 大切な方からの頂き物であれば、飾り物や置物といっしょに別の場所に飾ってください。もし、不要であれば所属のお寺にご相談なさるとよいでしょう。

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故人の写真はどこに飾るのですか?

 お葬式をされたご家族から、四十九日のご法事の時などに、「故人の遺影をどこに飾ればよいのですか?」と聞かれることがよくあります。
 喜びや悲しみを共にした親しき方の遺影です。お仏壇の中に安置して毎日そのお姿に向かって手を合わせたい・・・、そのような故人を慕うお気持ちはよくわかります。
 でも、仏教というのは、「私たちが仏さまになる教え」であり、そのために「この人生を正しく生きるための教え」です。どのような人でも等しく、阿弥陀如来の本願力によって、仏になる教えが浄土真宗です。
 その教えを開いてくださった宗祖・親鸞聖人は、人がお亡くなりになったことを「死亡」と言われず「往生浄土」と言われました。つまり喜び悲しみを共にした親しい方は、“亡くなられた”のではない。“お浄土に正しく往き生まれた”ということです。
 そして、先に往生された方々を弥陀同体の「諸仏」と受け止められました。“阿弥陀如来という、光り輝くすばらしい仏さまと同体の仏さまである”ということです。
 また、親鸞聖人が浄土真宗の教えの一番の寄る辺とされた「仏説無量寿経」というお経には、「わたしの国・お浄土に生まれたすべてのものの身を、美しい金色にしよう」という阿弥陀如来の誓いが示されています。
 お仏壇の前に座りロウソクに灯火を灯し、お香を焚いて手を合わせます。お仏壇の中心には掛け軸もしくはお木像で阿弥陀如来のお姿があります。先ほど述べました仏教の、親鸞聖人の教えを頂くとき、親しき方は、この燦然と光り輝く阿弥陀如来のお姿になられたと頂くことができます。
 ですから、親しき方の遺影は、生前のお姿を偲ぶ縁として仏間の長押に飾り、お仏壇の中には入れません。私たちが手を合わすのは、お浄土に間違いなく往生された光り輝く仏さまです。

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お仏壇にお供えする花に決まりがありますか?

 新たな年を迎え、どのご家庭でもお仏壇をきれいに掃除をし、お餅やお菓子などのお供え、またお花も美しく飾られたことでしょう。
 きれいに整えられたお仏壇を前にすると、私たちの心も和むものです。今年一年、また仏さまと共に過ごすわけですが、お仏壇のお花にもなるべく配慮したいものです。
 最近は食物に季節がなくなりました。トマトやキュウリ、イチゴなどの野菜や果物も一年中出回るようになり、それと同様にお花まで季節というものがなくなりつつあります。お花屋さんで仏花(ぶっか)を求めるときも、仏さまのお供え用として、菊を主にひと束に束ねられたものがほとんどで、一年中変化もないようです。
 仏花は、仏さまに対する感謝の思いを花に託してお供えするものです。お花屋さんで売られているものに限らず、お庭に咲いた花や、近辺の土手にでも咲いている季節ごとの花を摘んでお供えするのも大切な心がけです。
 ただ、注意して頂きたいのは、仏さまにお供えする花にも決まりがあるということです。造花、バラのようなトゲのある花、曼珠沙華のような毒性のある花、臭いの強い花などを供えることは控えます。
 先にも申しましたが、仏花は、私たちが仏さまを敬い感謝する思いを花に託してお供えするものですが、それと同時に仏さまの教え・お慈悲の心を表す花でもあるからです。阿弥陀如来という仏さまが私たちを救おうとするお慈悲の心は、造花のようなニセモノ・間に合わせではなく、トゲトゲしいものでもありません。そこに毒など一切ありません。鼻を突くような臭いもありません。
 赤い花、黄色い花、青い花、白い花それぞれが精一杯に咲いて、手を合わす私たちの心が本当に丸く和むようなお花をお供えするよう定められているのです。

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「お性根入れ」「お魂入れ」は必要ですか?

 「お仏壇を買いましたからお魂入れをしてください。お性根を入れてください」。このようなご依頼をよく受けます。また、「家の新築などでお仏壇を移動するので、お性根をぬいてください」というご依頼も受けます。
 そのようなとき、その方のお気持ちが、「新しいお仏壇を迎えたので、仏さまに感謝したい」もしくは、「粗末に扱ってはいけない」という思いからであればよいのですが、お話をよく伺いますと“お勤めをちゃんとしておかないと何か災いが起こる”から、ちゃんとお勤めをしてもらってお性根(魂)を入れとかなければ…、もしくはお性根を抜いとかなければ…という恐れのようなものが心の底にあるようです。
 でも、よく考えてみてください。新しく迎えたお仏壇が災いをもたらすようなものであれば、それはもう“お仏壇”ではなく“化け物壇”か“妖怪壇”で、そうであれば最初から求めない方がよいのではないでしょうか。
 ご門徒が縁あって求められたものは間違いなく“お仏壇”で、その姿は私たちのご先祖がお参りになった仏さまの世界・お浄土の姿を形に示されたものです。そして、その中心にいらっしゃるのは私たちを必ず救ってくださる阿弥陀如来という仏さまです。決して私たちに災いをもたらすような存在ではありません。
 ですから、新しくお仏壇をお迎えしたときは、わが家に新たに仏さまをお迎えしたことを慶び感謝する「入仏式」という儀式を勤めます。また、お仏壇を一時移動するときは「遷仏式」という儀式を勤めます。
 お仏壇をお求めになる時点で、お手次のお寺に詳しいことをご相談なさるのが一番よいでしょう。 

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「四十九日」が三月にまたがるとよくないことが起こる?

人が亡くなられて四十九日間を中陰といい、命日から数えて七日目を初七日(しょなのか)、次の七日目を二七日(ふたなのか)、次を三七日(みなのか)というように七日ごとに法要を勤め、最後の七七日にあたる四十九日は、中陰が満つる意味で満中陰といい、特に丁重にお勤めをします。
 この四十九日の満中陰の法要について、「四十九日が三ヶ月にわたるとよくないことが起こる」からと、早めに法要を済ます方もおられるようです。また、このことでお寺によくご相談にも来られます。
 これは、「始終苦しみが身に付く→四十九(しじゅうく)日が三月(みづく)」という語呂合わせからきた迷信です。おそらく「友引の日に葬式をしてはいけない」というものと並んで、仏事ではもっとも根強い迷信です。
 無茶な迷信です。月の後半に人が亡くなれば、四十九日が三ヶ月にまたがるのは当然のことで、大切な中陰のご法要を、他愛もない語呂合わせによる迷信によって変更したり早めてしまうのはとても粗末なことです。
 身内の人がお亡くなりになるのはとても悲しいものです。中陰の四十九日間は、故人とご縁のあった一人ひとりがその悲しみ乗り越え、いのちについてゆっくりと省みるために仏さまから与えられた期間なのです。迷信などに惑わされることなく大切にお勤めください。
 また、「会社勤めや家の事情で、平日に七日七日の法要や四十九日の法要が勤めることができないが…」というお問い合わせをいただきますが、ご法要は一人でも多くの方が仏縁にあうことが肝要です。そのような理由であれば、本当の法要の日に近い日で、なるべく多くの人が集まることのできる日に法要の日をずらしてもかまいません。

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お仏壇に、お水やお茶はお供えしないのですか?

ご門徒のお宅にお参りすると、お仏壇には、お水やお茶、ときにはお酒までお供えしてあるところがあります。
 きっと、お浄土に参られた身近な方が、喉が渇いてはいけないから…、もしくはお茶やお酒が好きだったから…、もしくはお仏飯をお供えするように朝の一番茶を仏さまにお供えして…、というような思いからお供えされているのでしょう。
 また多くの方から、「お水やお茶をお供えしてもよいのですか?」という質問もよく受けるのですが、そのようなときは、「浄土真宗は、お水やお茶をお供えする必要はありませんよ」とお答えします。
 なぜなら、お仏壇とは、既に往生されたご先祖方が、仏となって参られたお浄土の世界を、お経に基づいて形に表したものだからです。お経には、お浄土には「8つの功徳が満ちあふれた水がこんこんと湧き出でており、飢えとか渇きといったものは一切ありません」と説かれているのです。つまり「そういう心配を私たちがする必要は一切ないですよ」とおっしゃっているのです。
 それらの教えを踏まえて、浄土真宗では一定の定められた作法があります。それは、私たちの生活に欠かせない貴重な自然の恵みである水を、仏さまの恵みと味わい感謝するために、華瓶(けびょう)という仏具を使用します。お仏飯をお供えするのに仏飯器という仏具を使うように華瓶という仏具を用いるのです。
 華瓶一対に水を入れ、樒(しきみ)または青木を挿して供えます。つまり、仏さまの恵みを敬い感謝する香水としてお供えするのです。 

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「北枕」で寝るとよくないことが起こる?

「そっちの方角で寝ると北枕になるんじゃない。よくないわよ」、「北枕は縁起が悪いわよ」。時折耳にする言葉かもしれません。本当に「北枕」はいけないのでしょうか。
 実をいうとこの「北枕」は、今から2,500年前、インドでお釈迦さまがお亡くなりになられた、つまり涅槃に入られた時のお姿なのです。
 お釈迦さまのお生まれになった日、お誕生日は4月8日。この日は「花まつり」として広く知られていますが、お亡くなりになった日、ご命日は2月5日。涅槃に入られたという意味で「涅槃会(ねはんえ)」と呼ばれています。
 お釈迦さまは御年80歳。現在のことではありません。約2,500年前のことですからその生命力には驚くばかりです。
 お釈迦さまは、王舎城(おうしゃじょう)の霊鷲山(りょうじゅせん)というところから故郷のカピラ城に向かって、その老齢を押して最後の伝道の旅に出られるのです。しかし、途中で食中毒にかかられ、クシナーラ郊外のサーラ樹の林で静かに生涯を終えられました。
 その時のお姿が「頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)」の格好だったと今に伝えられます。頭を北に、足を南に、右脇を下にして、お顔を西に向けられたお姿です。
 親鸞聖人も、法然上人も、お亡くなりになったときはこのお姿をとられています。つまり仏さまのみ教えをいただくものとして、お釈迦さまのお姿に従われたのです。
 仏さまの教えにあまりご縁のない方は、単に「これは人が亡くなったときの姿だ。縁起が悪い」などと嫌うのですが、よく考えてみると、頭を寒い北に向け、足を暖かい南に向けというのは「頭寒足熱」の理にかなっていますし、右脇を下にというのも胃の形の関係からも内蔵が休まるよい姿勢といわれます。
 人間の心も体も深く見極められ、真理を体得され、お悟りを開かれたお釈迦さまです。お釈迦さまのお言葉、お姿に何一つ縁起の悪いというものはありません。お釈迦さまは、お亡くなりになる最後まで、私たちに生命の安らかなる姿を示されたのです。ですから、お休みになる方向を全く気にする必要はありません。

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「お彼岸」について教えてください。

毎年、春と秋に必ずやってくる「お彼岸」ですが、多くの人が「お墓参りをしてご先祖さまに感謝をする日」と思っていらっしゃることでしょう。
 それはとても大切なことのなのですが、実は「お彼岸」とは、昔、お坊さんが特に力を入れて修行をする期間だったのです。もちろん一年中、お坊さんは仏道を修するのですが、昼夜の長短も等しく、暑くもなく寒くもない春秋の一番よい時期に、普段より増して仏道を修しましょうと設けられたのが「彼岸」なのです。
 「彼岸」とは、清らかな悟りの世界・お浄土をさします。それに対して、私たちが住む迷いの世界を「此岸(しがん)」といい、本来「お彼岸」は、「到彼岸(とうひがん)」と言って、「迷いの世界から、悟りの世界のお浄土へ到る」という意味があるのです。
 浄土真宗では、親鸞聖人が、「お念仏をいただくことによってお浄土に到る」とお諭しくださっていますから、そのための厳しい修行はありませんが、そのお念仏のお心(意味)を味わうことは大切ですし、阿弥陀如来さまのお徳を讃えることも忘れてはならないことです。
 ですから、御先祖に感謝するためのお墓参りも大切ですが、お寺のお彼岸法要に参拝し、お参りの方々と一緒に手を合わせお勤めをして、お念仏のお話を聞くことはもっと大切なことなので、その姿こそ、今はなき御先祖方が喜ばれるもっとも尊き子孫の姿です。
 なお、お彼岸のご家庭のお仏壇のお飾りについて、特別なお飾りは必要ありませんが、ホコリ等を払ってきれいに清掃し、打敷(うちしき・お仏壇を飾る金糸で織った三角の布)をあて、果物、お菓子、団子等をお供えして、家族でお参りしてください。お墓も同様です。

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お仏壇のお飾りのしかたと、意味を教えてください。

お仏壇の飾り方
お仏壇の飾り方
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三具足、五具足
三具足、五具足
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お仏壇
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お仏壇は、浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来さまを安置するところで、そのお浄土の姿と阿弥陀如来の願いをお経に基づいて形に表したものです。

  • お仏壇は家庭の中心となるとなるものですから、新居を構えたら、すぐに安置してください。
  • 安置する方角は、特にこだわる必要はありませんが、家族皆が毎日お参りしやすい場所にしてください。
  • ご本尊、お脇懸は、所属のお寺を通じてご本山からお迎えし、その折には入仏式を勤めます。
  • お浄土をあらわすお仏壇には、決まり事としてお茶や故人の写真、位牌、御守り、御札などは置きません。
  • お仏壇のお飾りはお寺のお内陣にならって、日常のお飾りは三具足で、法事等の時は打敷をかけて五具足にします。
  • 鈴は、勤行の時にお経の最初の音を示したり、途中の区切り、終わりの時にならす仏具です。
  • 浄土真宗(仏教)には、お位牌に亡くなった方の霊魂等が宿るような教えはありませんから、原則としてお位牌は用いません。お葬儀でお位牌を用いた場合は、四十九日法要を機に過去帳にうつしましょう。
  • 「お灯明(とうみょう)」は、私の心の闇を一瞬にして破る阿弥陀如来さまの智慧を表しています。日常は白、朱は報恩講及び七回忌以後の法事に、銀は葬儀、中陰、三回忌までの法事に、金は結婚式などの喜び事に用います。
  • 「仏華(ぶっか)、供華(くげ)」は、仏様を敬う心、感謝の気持ちからお供えしますが、お供えした仏華は、そのまま阿弥陀如来さまの慈悲の心を表しています。造花は用いず、トゲや毒のある花、においの強い花は供えません。
  • 「お香」は、阿弥陀如来さまの清らかで、誰をも差別することなく救うお慈悲の心を表しています。なるべく上質ものを、ねかせて供えます。
  • 「お供え物」は、阿弥陀如来さまの恵みを感謝し喜ぶ意味で供えます。私たちの主食であるご飯(お仏飯)は、ご飯を炊いたときには必ず、その他はお餅やお菓子、果物等を供えます。たばこやお酒、生臭ものは供えません。また、よそからの頂き物は、必ずお供えしてからいただきましょう。
  • 仏前に礼拝するとき、「お念珠」は欠かせない大切な法具です。直接畳や床に置いたり、投げたりしないようにします。

(お仏壇のイラストは、本願寺安芸教区発行「仏事あれこれ小百科」よりお借りしました)

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仏事の際の、金封の表書きはどう書くのですか?

お葬式、年回法事、また入仏式やお祝いの仏事など、仏事は様々です。また自らが施主となって勤める場合、親戚や知り合いのお宅に仏事で招かれる場合など形も様々で、そんなとき困るのが金封の表書きです。
 まず、親戚や知り合いのお葬儀にお参りする場合は、黒白の水引の金封に「御香資」「御香料」「御香典」と書きます。親戚や知り合いの年回法事にお参りする場合は、お葬儀と同様でもかまいませんが、黄色白の水引もしくは黒白の水引に「御仏前」と書いても結構です。
 知り合いのお宅が新築され、新たにお仏壇を購入して仏さまをお迎えするときに勤めるご法事を入仏式(にゅうぶつしき)といいます。また赤ちゃんが生まれて初めてお寺にお参りをする初参式(しょさんしき)などお祝いの仏事に招かれた場合は、赤白の水引に「御祝」と記します。
 自らが施主(喪主・主催者)となって仏事を勤める場合、僧侶に差し出す金封は、「御布施」と書きます。
 注意して頂きたいのでは、いずれのばあいはも、仏さまにお供えするものですから、「御霊前」とは書きません。

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