7月1日~お手本がいない世の中
梅雨空の隙間をぬって差し込む光はすでに夏の日射しです。
さて先般、聖路加国際病院名誉院長の日野原重明先生のインタビュー記事を目にしましたが、日野原先生は年を取るということについて、「老化」と「老い」は違うとおっしゃっています。
「老化」とは、老眼や白髪、しわが増え腰が曲がったりする肉体的なもの、自然的なものをいい、「老い」とは、その老化していく中に宿る自分、つまり心であって、考え方感じ方でいかようにも変わるということであり、もっと言えば、いかに自然の肉体的な老化があろうとも、老いは自分が創り出せるものであるということです。
日野原先生は、その老いは自分でデザインしていくもので、そのヒントは、「私もああいうふうな人になりたい」という特定の人を目標にしたり、モデルにすることがいいとおっしゃいます。
つまり、自分のあこがれ、お手本を持つことが、よりよい老いを創り出すヒントになるということです。
その記事を読みながら、人が、自分のあこがれ、お手本を持つということがいかに大切かがわかりますし、それは老人も幼い子どもも同じだとあらためて思いました。と同時に昨今、子どもたちのあこがれ、お手本になる大人がいかに少ないことでしょうか。
テレビでは、国民の年金の記録を紛失し放置していた社保庁の無責任体質、ブタや鳥の混合肉を牛肉100%と平気で偽る社長、土地建物の売却詐欺事件で逮捕された元公安調査庁長官など、耳を疑いたくなるような大人の姿が毎日のように映し出されています。
まことにさびしくはずかしい気持ちになりますし、「子どもたちにとって、信じられる大人がいない。ましてやあこがれ、お手本とする人など、今の世の中にいない」、ここに社会的な大きな問題があるようにも思います。
まずは身近なところから…、自らの日々の姿は、周囲の子どもたちにとっていかがでしょうか。少し立ち止まって省みることが大切なようです。
2007年07月02日【51】