2月15日~今ここに、その人いまさずは…
氷の柱と書いてつららと読みます。寒さに弱い私は、テレビで見るだけで充分です。
さて、一月二十九日から二月九日までの十二日間、仏教の開祖・お釈迦さまの聖地を訪ねて、鹿児島より三十五名の方々をご案内してインドに参りました。
その内、覚照寺からの参加者が十二名、お寺の勤めにかかわる者として、自分のお寺のご門徒をお釈迦さまのみもとにお連れできることを、大変幸せに思いました。
旅先では、お釈迦さま誕生の地・ネパールのルンビニー、悟りを開かれた地・ブダガヤなど、各地で皆そろってお勤めをして、参加の僧侶が担当でご法話をしました。私も涅槃の地・クシナガラでさせていただきました。
その中、一人の僧侶が、「私はお釈迦さまの聖地へ自分で来たのではありません。お釈迦さまから喚ばれて、その声によって参ったのです」とおっしゃいました。
私は「なるほど」と思いました。お釈迦さまの聖地へ行こうと思い足を運んだのは私だけれども、私がそう思う前に、お釈迦さまが「私のところへ来い」と喚んでいてくださったというのです。
ふり返れば、この度インドに行ったことだけでなく、普段お仏壇に手を合わすことも、ご先祖の命日に法事を勤めることも、お寺に参詣することも、すべて私がする前に、遠き昔から私に働きかけがあるしるしなのであり、それは私だけでなく、すべての人に等しくかけられた悟りし方の願いなのです。
一月三十一日、ネパールのホテルで、明け方四時に私が詠んだ拙い詩を紹介します。
今ここに、その人いまさずは、私の参る寺はない。
今ここに、その人いまさずは、手を合わす私はない。
今ここに、その人いまさずは、経を唱える私はない。
今ここに、その人いまさずは、教えを聞く私はない。
今ここに、その人いまさずは、私に後生の道はない。
ああその人よ、偉大なるその人よ。南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏。
2007年02月13日【42】